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「知」に備えあれば憂いなし

潮田道夫の複眼時評

潮田道夫 プロフィール
東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。経済部記者、ワシントン特派員、経済部長、論説委員長などを歴任し退社。現在、帝京大学教授で毎日新聞客員論説委員。内外の諸問題を軽妙な筆致で考察する「名うてのコラムニスト」として知られています。著書に「不機嫌なアメリカ人」(日本評論社刊)、「追いやられる日本」(毎日新聞社刊)など。

技術革新しているのに経済停滞?2020.02.01

-キーワードは「価格ゼロ」-

景気がいいとか悪いとかいう。ではなぜ景気は悪くなるのか? 改めて問いかけられると返事に窮する。

ノーベル賞受賞の経済学者ポール・クルーグマン教授は「それはひとびとが消費しなくなるからさ」という。消費せずに貯蓄に励むのがマズイのである。

高名な学者に楯突くようだが、しかし、これは十分な説明になっていない。私たちが知りたいのは「なぜ消費しなくなるのか」だからだ。それに対するクルーグマン教授の答えは「わからない」である。

いま経済学者が頭を悩ませている問題に「長期停滞論」がある。先進国経済の成長率は右肩下がりのトレンドに陥ってしまった。どうしてそうなったのか。

とりあえず「需要不足」のせいだということでは一致している。つまり人が消費せず貯蓄過剰になっているということ。別の言葉でいうと「需要不足」である。

その原因に関しては、少子高齢化説(年寄りは買い物しませんね)、格差拡大説(少数の金持ちに富が集中して貧乏人が増えた)、将来不安説(老後に備えて財布のひもを締めなきゃ)、大発明・大発見の終焉説(産業革命に比べると今の技術革新は需要喚起力でめっちゃ劣る)など、議論百出で決め手がない。

というようなことが頭に引っかかっていたら、東大の経済学者、渡辺努教授の講演録(雑誌『公研』2019年7月号)がたいそう面白かった。以下、それをつまみ食いしてお伝えする。

渡辺教授自身は長期停滞を感じないらしい。教授はビッグデータを計数処理して新商品開発につなげるといった流行りのビジネスの渦中にあり、「高度成長」を日々実感している(教授の話ではないが、利に敏い今日の東大の学生は、優秀なものほど官僚や銀行員にならず、教授が関わっているようなベンチャービジネスに進むそうである)。

その立場からは長期停滞論にクビをひねらざるをえない。猛烈な技術革新が起きているのに経済成長が数字になって表れてこないのはなぜだろう。この講演の表題にもなっている「技術革新と経済停滞のパラドックス」である。

結論を先にいうと、国内総生産(GDP)の数字に勘定されない「非市場経済」が急拡大しているためであるらしい。

技術革新で暮らしは非常に便利になっている。経済学では商品の満足度を「効用(消費者余剰)」というが、それはあきらかに高まっている。

例えばその「効用」という言葉の意味を知ろうと思えば、昔は百科事典や経済学辞典に当たるしかなく手間やコストがかかった。いまはネットの「ウィキペディア」に行けば、無料で懇切な説明があり、リンク先まで当たれば膨大な知識が手に入る。

この「無料」というのが曲者なのだ。いまどき自宅に百科事典を備えている家庭などありはしない。つまり、1セット何十万円かの需要が発生しなくなってしまった。効用は昔よりはるかに増大しているのに、GDPに表れないのである。

「グーグル」は21世紀のシンデレラ企業で広告収入を360億ドル(約4兆円)得ているそうだが、経済学者の計算ではグーグルの生み出している価値は1500億ドルと収入の4倍もある。

一事が万事こうであるから、いま起きている技術革新を正当な数字に換算すれば、現状を長期停滞というのは当たらない、ということのようである。教授は無論、もっと精緻にはるか先まで論じておられるから、興味のある向きはご本人の論考に当たられたい。大啓発間違いなし。