潮田道夫の複眼時評
潮田道夫 プロフィール |
東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。経済部記者、ワシントン特派員、経済部長、論説委員長などを歴任し退社。現在、毎日新聞客員論説委員。内外の諸問題を軽妙な筆致で考察する「名うてのコラムニスト」として知られています。著書に「不機嫌なアメリカ人」(日本評論社刊)、「追いやられる日本」(毎日新聞社刊)など。 |
令和の「ミスター円」神田財務官
―市場介入で孤軍奮闘―2024.05.21
いま、経済分野で「時の人」といえば財務省の神田真人財務官だろう。円安歓迎のはずの輸出企業の総元締め、経団連会長まで「1ドル=150円は過剰な円安」と言っている。円安是正が国家的課題だ。そこで注目されるのが市場介入。神田財務官はその責任者であり一挙手一投足に注目が集まる。
1ドル=160円を超す円安となった4月29日、ついに市場介入に踏み切った。この日朝方、円安が加速し34年ぶりに160円台を突破。その2時間半後の介入だった。「日本は連休だから」とタカを括っていたところに奇襲をくらって、投機筋は手仕舞いに追われた。円は一瞬、5円も値上がりした。5月2日の第2弾と合わせ、8兆円規模のドル売り円買いである。
もっとも、市場介入でトレンドを変えるのは難しい。だが、「市場の暴走」を止めることはできる。急激な円安を放置しているとトンデモの為替水準が定着しかねない。そういうときは介入である。
円レートを決める要因として教科書は次のようにいう。短期的には金利差(金利が高い方が通貨高)、中期的には経常収支(赤字国は通貨安)、長期ではインフレ率(インフレだと通貨安)だと。だから、とりあえずは日米金利差である。これが縮まらないと円安是正はできない。しかし、繰り返すが、介入はやるべきときにはやらないといけない。
市場介入では「実弾の有無」と「相手国の意向」が問題になる。市場経済の国々とりわけG7では介入は極力控える約束だ。輸出を伸ばすため通貨安政策を取ると、我も我もと通貨安競争になりかねない。米国は世界の為替を監視して年に2回、怪しい国を「為替操作国」と認定する。態度が改まらないと「制裁」だ。ことほど左様に米国はうるさい。
日本が保有する外貨準備は3月末で約1.3兆ドル、円換算で約200兆円である。その9割はドル預金や米国債だ。実弾はたっぷりある。しかし、日本は米国債の保有額では最大の投資家であり、そこが大量に米国債を売れば衝撃が大きい。自国通貨防衛が目的でも、市場介入は何らかの形で米国の了解をとる必要がある。これがなかなか難しい。
神田財務官による市場介入はこれが初めてではなく、2022年9月にもわが国として24年ぶりの介入をやっている。3回にわたって計9.2兆円。かつて榊原英資氏が財務官時代、市場介入で名を馳せ「ミスター円」と呼ばれたが、それにならえば神田氏は「令和のミスター円」であろう。
この人はテレビでは地味な印象を与えるが、実際は情熱家で能弁だという。大臣官房秘書課企画官だった2004年、財務省志望者向けに神田氏が書いた文章「いっしょにやらないか」が最近「発見」され話題になっている。ホットな文章である。要旨次のような内容だ。
1、虚無感のみ漂う大衆民主主義の中で埋没するな。2、財務省にいれば民族生存、世界繁栄の闘いの前衛にいることを実感できる。3、財務省ほど情報と政策手段が集中し影響力のある組織は他にない。4、働くだけではない。入省以来、60か国以上旅行し数千冊を読む時間があった。今も毎週テニスで汗を流している。5、君もノーブレス・オブリージュ(貴族に課せられた義務)を果たせ。
いま、国家公務員上級職(キャリア職)試験を受ける学生は減る一方。キャリアの過半を占めた東大生にもそっぽをむかれ、東大卒は全体の15%だ。神田財務官の「いっしょにやらないか」はすでに20年前、今日の状況を見越して、志ある若者を募る「檄文」だったかのようである。
ところで現時点で「いっしょにやらないか」というなら、相手は米国である。米国が協調介入してくれれば効果絶大で円安は一挙に解消だ。ただ、その可能性はゼロ。神田財務官は孤軍奮闘するほかない。