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「知」に備えあれば憂いなし

潮田道夫の複眼時評

潮田道夫 プロフィール
東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。経済部記者、ワシントン特派員、経済部長、論説委員長などを歴任し退社。現在、毎日新聞客員論説委員。内外の諸問題を軽妙な筆致で考察する「名うてのコラムニスト」として知られています。著書に「不機嫌なアメリカ人」(日本評論社刊)、「追いやられる日本」(毎日新聞社刊)など。

「安いニッポン」に誰がした
-円安はそんなにいいものか?-2021.09.01

「安いニッポン」が昨今のキーワードらしい。日本経済新聞が6月、「安いニッポン――ガラパゴスの転機」という4回の連載をして話題になった。本や雑誌、テレビやYouTubeでも同工異曲の話題で盛り上がっている。

例えばアマゾンで書籍を検索してみると『安いニッポン――「価格」が示す停滞』(日経プレミアシリーズ)『値段から世界が見える』(朝日新書)『日本人の給料はなぜこんなに安いのか』(SB新書)『日本はもはや「後進国」』(秀和システム)等々、枚挙にいとまがない。

以前、ヨーロッパに行ったらミネラルウォーターが1本400円もするのでたまげたが、海外から見ると、日本は何でも安い。

今度のオリンピックで大挙してやってきた外国人選手たちが、YouTubeで「日本レポート」を流しているが、「安さ礼賛」が多い。コンビニで鮭おにぎり1個100円ワンダフルとか、メチャウマ牛丼500円アンビリーバボー! とかやっている。

中国、台湾、韓国からの観光客の急増も(コロナで激減したが)、煎じ詰めれば「安いニッポン」が理由であった。80年代末、政治家の同行取材で北京に行ったとき、何人もの先輩から「北京飯店の外貨ショップは革のブリーフケースが安い。買ってきてくれよな」と頼まれ何個も抱え込んで往生した。いまや話が逆で、中国人が東京にやってきて「安いからお土産頼む」と言われて「爆買い」している。

北海道のニセコにパウダースノーを求めてオーストラリア人が押しかけるようになってだいぶ経つ。内外の資本がカネをつぎ込んでスイスの高級リゾートみたいになった。米国資本が建てたコンドミニアムは高いのは一室8億円だそうだが即完売だ。ニセコはそういう連中の所得水準に応じた物価になるから、ラーメン一杯2000円である。

では「安いニッポン」の原因はナニか? こういう経済問題でいつも参考になるのが門馬一夫さん(みずほ総合研究所エグゼクティブエコノミスト)だ。日本銀行の調査統計局長などを務めた論客。

門馬さんによれば正解は「円安だから」である。長期的にみれば消費者物価指数はインフレ率に沿った動き方をする。日本と米国の消費者物価指数の推移を比較すると90年代以降どんどん広がっている。つまり米国の物価は上がっていくのに、日本の物価は横ばいが続いている。しかし、米国の物価を円レートで調整してみると、日本の物価から一方的にかけ離れて上昇しているわけではないことが分かる。

ただし、日米の物価水準に大きな隔たりが生じる時期がある。「内外価格差」である。80年代、日本は高すぎた。だから「ダンピング輸出している」などと言われた。いまは逆に、日本が低すぎる。「安いニッポン」である。

「ビッグマック」の値段を比べると、米国では5ドル65セント、日本では390円。ビッグマックの価格が一致する円相場(ビッグマック指数)は1ドル=69円となる。これを「正しい円相場」と見て計算すれば、おおかたの「安いニッポン」は解消する。

「アベノミクスが始まる前の数年間は、日米のビッグマックの価格に大きな差はなかった。日本がみるみる『安いニッポン』になったのは、2013年ごろから急速に円安が進み『デフレ的な状況ではなくなった』と政府が勝利宣言をした中でのことである。」(門馬さん)。

世間は円高を警戒し円安を歓迎する。しかし、実は製造業の国際競争力が強い時代は円高で内外価格差の大きい「高いニッポン」だったことを想起すべきである(経済学では「バラッサ・サミュエルソン効果」で説明するが、省略)。円安で「安いニッポン」の現状が示しているのはその逆、つまり製造業の衰微、と言って言い過ぎなら、国際競争力の低下である。アベノミクスやスガノミクスの異次元緩和で円安バンザイ、などと言っている場合ではない。