潮田道夫の複眼時評
潮田道夫 プロフィール |
東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。経済部記者、ワシントン特派員、経済部長、論説委員長などを歴任し退社。現在、毎日新聞客員論説委員。内外の諸問題を軽妙な筆致で考察する「名うてのコラムニスト」として知られています。著書に「不機嫌なアメリカ人」(日本評論社刊)、「追いやられる日本」(毎日新聞社刊)など。 |
「ドル化」で経済再建?
ーアルゼンチンに勝算はあるかー2023.12.11
南米アルゼンチンの大統領選は急進右派のミレイ下院議員が勝利し、10日就任した。選挙公約が過激だ。「中央銀行は廃止し、経済をドル化する」。誰でも思う、そんなことできるのか?
いや、その前に、なぜそんなことをするのだ?理由は簡単。米ドルを通貨にするのだから為替レートが消滅し、通貨と物価が安定する。落ち着いて経済再建に取り組む環境が整う。逆に言えばいま、アルゼンチンは猛烈なインフレ(物価は1年前の2.4倍になった!)とペソ安に悩まされているのだ。
では具体的にどうやるのだろう。しかし、その工程表は発表されておらず、誰もが「?」と首をひねっている。ミレイ新大統領は選挙戦のテレビ討論で、中央銀行の模型をハンマーで叩き壊して見せた。民衆の鬱憤ばらしには寄与したが、実際には一気にはつぶせない。中央銀行は政府のお金の出し入れ、銀行間取引の仲介、そして無論、紙幣(中央銀行券)の発行をしているから、閉鎖すれば即、経済が止まる。
「ドル化」と言っても程度はいろいろである。中米のエクアドルは通貨下落とインフレ激化を受け2000年、自国通貨スクレを廃止してドルを法定通貨とした。それで危機を乗り切り現在に至っている。必要なドルは石油の輸出代金と移民からの仕送りで間に合わせている。石油価格が下落すれば危機は再燃するだろう。世界にはこの類の「ドル化」の国が13か国あるが、いずれも小国だ。そのうちモンテネグロなど3か国はユーロ、ツバルなど3か国が豪ドルを採用している。
アルゼンチンが考えているドル化は、自国通貨は温存したまま、1ペソ=1ドルに固定化するカレンシーボード制とみられる。実を言えば、アルゼンチンは一度これをやっている。石油ショックや累積債務問題などを受け1991年、1ペソ=1ドルに固定した。通貨発行量を外貨準備の範囲内とすることでペソの信頼が回復し、これが可能になったのである。
しかし、今回は難しそうだ。何しろ外貨準備が底をついて残っていない。外国から借りればいい、と新大統領派のエコノミストは言っているそうだが、果たして借りられるのか。
それにしても、アルゼンチンの通貨危機は一体何度目だろう。古い話をすれば、第二次世界大戦までアルゼンチンは先進国の一角を占め、一人当たり国民所得は英国と肩を並べていた。小説『クオレ』の中の挿話、「母を訪ねて三千里」はイタリアの少年マルコがアルゼンチンに出稼ぎに出た母を探して旅する話である。
それが今、凋落甚だしい。この話で決まって出てくる話だが、あえて再録しておこう。ノーベル賞の経済学者クズネッツいわく「世界には4つの国しかない。先進国と発展途上国、そして日本とアルゼンチンである」。途上国が先進国になった例が日本、その逆がアルゼンチン。2か国ともマクロ経済学的に稀有の例というわけだ。
ではなぜ、栄華を誇ったアルゼンチンはダメになったのか。一度は成功した「ドル化」が維持できなかったのはなぜか。
つまるところ、アルゼンチンの歴代大統領が「バラマキ政策」をやめられなかったからである。1946年、労働者と極貧層の支持に支えられ、大統領に当選したペロンと彼の妻エバ・ペロンが、過剰な労働者保護政策、福祉ばらまきを始めたのが最初と言われるが、その後の政権も財政規律を保持することができなかった。改革の動きはあったが、国民の「もっとよこせ」の声に抵抗できなかったのである。それがアルゼンチンから国際競争力を奪い、アルゼンチンを国家間競争の敗者に追いやることとなった。
ドル化を維持するには、バラマキを断念して財政を健全化させることが必須である。アルゼンチン国民が「欲しがりません、勝つまでは」とハラを括らない限り、新大統領のドル化は成功する見込みなしだ。そして、これまでの例を見る限り、前途は暗いというほかない。