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「知」に備えあれば憂いなし

潮田道夫の複眼時評

潮田道夫 プロフィール
東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。経済部記者、ワシントン特派員、経済部長、論説委員長などを歴任し退社。現在、毎日新聞客員論説委員。内外の諸問題を軽妙な筆致で考察する「名うてのコラムニスト」として知られています。著書に「不機嫌なアメリカ人」(日本評論社刊)、「追いやられる日本」(毎日新聞社刊)など。

武漢ウイルス研究所犯人説が再燃
-素人探偵団が隠された証拠暴く?-2021.06.21

在日ロシア通商代表部の職員に軍事技術情報を売り渡していた日本人(70)が神奈川県警に逮捕された。文献検索データベースから無人戦闘車両の開発に応用できる日米の文献8点を入手して30年間で1000万円を得たという。

情報の受け渡しは人けのない場所ですれ違いざまに現金と交換していたそうで「フラッシュコンタクト」と言うそうだ。ジョン・ル・カレの小説みたい。

久しぶりのスパイ事件である。まず注目されるのが罪状。1987年に刑法改正で新設された電子計算機使用詐欺罪だったこと。この頃、テレホンカードの偽造が多発するのに業を煮やしてできた法律だった。テレホンカードなどこの世から消えてしまったのに、妙なところで役に立つ。第2に30年で1000万円の報酬。1年で30万円そこそこ。「スパイは儲からない」と言われるがそのとおり。副業だったにしても。

第3に、これが最も興味深いが情報の入手先が文献検索データであったことだ。どうも一定の手続きをしカネを払えば、私にもアクセスできる公開情報のようだ。実に現代的。

もともと情報・諜報活動のほとんどが、新聞やテレビなどの公開情報の収集である。「007」みたいなのはゼロとは言わないが数は少ない。なかでも重要なのがネットで得られる情報だ。

新型コロナウイルスは中国武漢のウイルス研究所から流出したという疑惑が取り沙汰された。トランプ大統領が大騒ぎしたが、世界保健機関(WHO)の調査で「ほとんどありえない」と報告、いったん下火になった。しかし5月27日、バイデン米大統領はこの疑惑を蒸し返し「各情報機関はこれまでの2倍の努力をして90日以内に結果を報告せよ」と命じた。

バイデン米大統領がこのような指令を発したわけは、諜報活動とはおよそ縁のない各国の素人探偵たちが、ネット上に公開された情報を丹念に探索した結果、武漢ウイルス研究所が犯人という状況証拠が看過できないまでに集まったからだ。

世界各地のアマチュア20数人が「文献検索データベース」などに手を突っ込み、その情報がツイッターを飛び交ううちに参加者の間でひとつのストーリーにまとまっていった。彼らは「ドラスティック(DRASTIC,Decentralized Radical Autonomous Search Team Investing COVID―19)」つまり「新型コロナウイルス感染症に関する分散型の急進的な匿名の調査チーム」と名乗って意気軒昂だ。

彼らの調査によれば2012年、雲南省のコウモリの洞穴の掃除をしていた男性6人が肺炎を発症、そのうち3人が死亡する事件が起きた。データベースを探すと武漢ウイルス研究所の石正麗主任らの発表論文がみつかった。石主任らはその肺炎ウイルスを密かに培養・分析、さらに「SARSウイルスに似た新型ウイルスの感染」として周辺住民の血液検査まで行っている。ウイルスの遺伝子配列も分かっていたらしい。公表していれば今日のような惨禍は防げたかも知れない。現在は検索できなくなっている。

武漢ウイルス研究所犯人説は「トランプの陰謀論」としてリベラル勢力に忌避されてきたが、いまや空気は一変した。そして、中国が新型コロナウイルスの感染拡大を公表する数か月前の2019年11月、武漢ウイルス研究所に所属する研究者3人が病院での治療が必要になるほどの体調不良を訴えていたことなども判明(国務省の機密報告をウォール・ストリート・ジャーナルが暴露)し、疑惑は深まる一方だ。

さてバイデン大統領に90日のうちに黒白つけろと命じられた「情報機関」だが、アメリカには外国政府の転覆などやっていたCIA、そしてメルケル独首相の盗聴で有名になったNSAなど、17もの諜報機関がある。だが、米国の新聞TVによれば、「確かなのはコウモリが犯人…ぐらいかな」と、どこも思案投げ首だという。素人探偵団の一層の奮起を待つしかないか。