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クローズUP

新型コロナ、影響広がる2020.03.11

規模縮小した東京マラソン

新型コロナウイルスの感染が拡大、多くのイベントが中止や縮小となり、影響は警備業にも及んでいる。

3月1日開催の「東京マラソン2020」は、3万8000人の参加を見送りエリートランナー約200人のみが出場した。民間警備は今年もセコム(東京都渋谷区、尾関一郎社長)とシミズオクト(新宿区、清水太郎社長)が担当。2社は警備人員・機器を大幅に削減した。

セコムは129台設置予定だった仮設監視カメラを19台まで削減。巡回警備員数も減らしウェアラブルカメラは使用しなかった。フィニッシュ地点で不審なドローンを警戒する「セコム・ドローン検知システム」も大会規模縮小のため活用しなかった。

シミズオクトは、警備員数を委託会社を含めて昨年の約6割に削減した。一般の部の出場がなくなったため入場チェックの金属探知機と手荷物検査をすべて取りやめ、スタート地点の警備体制は昨年の約1割。コース上の交通規制ラインは例年と変わらないが、エリートレースのみとなったことで規制時間が短くなり、余剰の人員を削減した。

一方、全国警備業協会(中山泰男会長)は、都内で開催予定だった3月5日の「全国青年部会長女性部会長会議」、6日の「令和元年度第4回セキュリティ・プランナーミーティング(関東地区)」をともに延期した(開催日は未定)。

警備員特別講習事業センター(東京都新宿区、藤本哲哉理事長)は2月20日、都道府県協会に「新型コロナウイルス感染症への対応」について通知し、特別講習受講者の感染予防を呼び掛けた。マスク着用・手指の消毒を徹底し、講習前・講習中に発熱などの風邪症状が見られた場合は受講を辞退するよう要請した。

その後も感染拡大が止まらないため同事業センターは3月2日、都道府県協会に「特別講習の開催中止等」として再度通知を行った。3月2〜15日の特別講習は10会場のうち5会場が中止または延期となり、16〜31日に予定している8会場については今後、県協会と協議して決める。4月の講習に関しては3月中旬に状況を見定めて通知することを伝えた。

特集ワイド 復興へ警備業の〝若い力〟2020.03.11

2011年に発生した東日本大震災から9年――。震災翌年の3月11日に創刊した本紙は、編集方針の一つに「被災地に寄り添う」を掲げ、これまで被災3県で復旧や復興に取り組む警備業に焦点を当ててきた。来年の10年という節目を前に、今回は被災3県で頑張っている若い警備業関係者を訪ねた。“先の長い”復興を成し遂げるには「若い力」は欠かせない。

福島 二人で地域に恩返し  コスモさくら警備保障

その会社を初めて訪ねたのは、4年前の2016年3月だった。当時はプレハブ造りだった社屋は、順調な社業を物語るように2階建ての洒落た建物に様変わりしていた。建物のある場所は、福島県双葉郡広野町。「コスモさくら警備保障」(鹿島栄子代表取締役)の広野営業所であり「仮本社」でもある。本社は今も同じ双葉郡内の富岡町にあるが、「帰還困難区域」のために立ち入ることはできない――。

震災前から同社の交通誘導警備に従事してきた、長男であり営業部長の鹿島光太郎氏(36)によれば「震災前の方がインフラ整備関係の仕事は多かった」という。「住民が減り、整備の必要がなくなったのですかね」と長女で同社事務担当の山内笑(えみ)氏(40)が補足してくれた。

青年部会で学び、育つ

鹿島氏、山内氏ともに、福島県警備業協会(前田泰彦会長)の青年部会(しゃくなげ青年部会=村﨑雅彦部会長)に設立当初から参加している。福島警協の理事も務める社長の勧めでもあった。

鹿島氏は部会では最年少。山内氏は、3人の女性メンバーの一人。昨年12月に仙台市内で開かれた東北6県の青年部が一堂に会した「青年部サミット」には、山内氏が福島県代表の一人として出席した。「サミットはいい刺激になりました。勉強の必要を感じました」と振り返る。

鹿島氏は「(部会の先輩から)経営のこと、現場仕事の進め方など、いろいろ教えてもらっています」と、自身のスキルアップにも役立てている。前回の部会会合では、資格者配置のことでアドバイスしてもらった。

これまで“現場一筋”だった鹿島氏だが、最近は社長が出席する各種会合にも同行するよう心掛けている。“社長の背中”を見ながら知識・人脈を広げるのが目的だ。

5年ほど前から事務全般を手伝うようになった山内氏は、隊員80人の頃はベテランの先輩と2人で仕事をこなしてきた。今は隊員も100人を超え、業務車両も増えた。労務管理、給与計算、車両の管理などやるべきことは多い。頼りにしていた先輩も会社を去り、昨年から3人の女性を教える立場になった。指導することの難しさを実感した1年だった。

そんな二人を見て鹿島社長のご主人でもあり、同社専務取締役の鹿島浩一氏は「それぞれが自分の役割を自覚してくれている」と満足そうだ。

得意先からの緊急要請には、光太郎氏が使命感を持って率先対応。仕事に“穴が開かないよう”努めている。光太郎氏自身も「まだまだ先でしょうが」と前置きした上で、「社長がいつ引退してもいいように力を付けたい」と前向きに取り組んでいる。山内氏の目標であり願いは、同社の原点でもある、いつまでも「地域に愛される会社」。鹿島専務も同様に地域への恩返しが目標だ。

東京電力福島第一原子力発電所からの避難を経て、同社が広野町にベテラン隊員5人と本社機能を持つ営業所を開設したのは11年6月のこと。16年には警備員の数は震災前と同じ約80人となり、現在は100人を超えた。出身地は北海道から沖縄までの全国に及ぶ。地元・双葉郡の出身者は約1割。福島県出身者まで広げても2〜3割に満たない。鹿島専務によれば、「もともとは双葉郡の人だけだったんです。忘年会では、皆手を取り輪になって踊っていたもんです」。

警備員の募集はハローワークや求人誌、同社ホームページが中心だ。平均年齢は50代後半。出身も境遇も異なる大人数を取りまとめるには苦労も多い。

毎日午前4時に出社、夕方7時前後まで会社で過ごす鹿島社長は、隊員同士のちょっとした変化を見逃さない。反発しあっている隊員を見つけては「お互いあいさつだけはしなさい」と指導する。

親睦のための「花見」「暑気払い」「芋煮会」「忘年会」は欠かせない。最近は「現場ごとの親睦会」も加わった。同じ現場に勤務するグループごとに、隊員の悩みや会社・仕事に対する意見・思いなどに社長と専務が耳を傾ける。

多かった除染作業や道路工事、解体工事などに伴う交通誘導警備はめっきり減った。逆に仕事の8割を占めるのは、帰還困難区域への道路入口に設けられた“ゲート”での出入管理。区域内に出入りする除染や各種工事のための関係車両の通行証のチェックだ。

帰還困難区域の“解除”で人が住めるようになる場所は広がったが、住民の多くは帰ってこない。“先の長い”復興には若い二人の力が不可欠だ。

宮城 埼玉を離れ被災地に  セキュリティ

東日本大震災発生直後から、全国警備業協会をはじめ都道府県警備業協会は「災害支援隊」を現地に派遣した。埼玉警協も同年4月に加盟5社・15人から構成する支援隊を宮城県七ヶ浜町に派遣、現地で昼夜の防犯パトロールを行った。

警備会社「セキュリティ」(埼玉県所沢市、上園俊樹代表取締役)の仙台営業所で所長を務める角田康武氏(34)は、当時の「埼玉支援隊」メンバーの一人だ。

同社は震災後まもなく、宮城県内に営業所を開設。現地の責任者には、若いながらも警備員指導教育責任者の資格を持ち、すでに業務全般を経験してきた角田氏に“白羽の矢”が立った。決め手は、「支援隊」で現地の様子を実際に目にしていたことだ。

再度宮城入りした角田氏は、多くの被災者を雇用、警備員教育を行い「復興住宅」建設工事に伴う交通誘導警備に対応した。2014年6月には気仙沼市内に「復興事業所」を開設。ここを拠点に宮城・岩手両県沿岸部で活動を本格化させた。

復興事業所の所長を務める岸信雄氏(58)は、角田氏の応援として13年11月に気仙沼にやって来た。埼玉の本社で人事課長として主に警備員の採用を担当していたが、“人集め”の力量を買われ派遣された。

角田、岸の両氏が現地で仕事をするようになって最初に感じたのは「料金格差」と「安全意識の低さ」。いずれも警備員の処遇や命に直結する問題だ。料金相場の高い首都圏の同社とは環境が異なるものの、現地の料金を元に警備員に支払われていた賃金を見て「これで生活できるのか」と驚かされた。また、大都市とは交通量が異なるとはいえ、現場で使う資機材の少なさに「これで安全が確保できるのか」と不安を感じた。

復興加速や社会保険加入のために大幅アップされた「公共工事設計労務単価」を“追い風”に、強気で料金交渉。地元の同業者からは「白い目」で見られたこともあったが、地域の警備料金アップにもつながった。

同社は宮城県警備業協会(千葉英明会長)に、県内で仕事を始めた当初から加入。角田氏は3年前から同協会青年部(菅原正秀部長)にも入会、活動を開始した。現在は青年部「研修委員会委員長」の肩書を持つ。昨年12月の「青年部サミット」では、司会を務めた。地元の若い仲間に受け入れられた証だ。

宮城に骨をうずめる覚悟

支援隊で被災直後の現地の様子を見たこともあり、「被災地のために何かしたい」と思い続けていた角田氏。仕事で宮城に派遣されたことは願ってもないことだった。

一方で、復興関連の大型工事終了に合わせるように、“復興特需”目当ての「県外業者」が相次いで撤退している。

そんな状況を横目に、いつしか角田氏は「このまま宮城に骨をうずめてもいい」とさえ思うようになった。上園社長にも、気持ちはすでに伝えた。社長からは「任せる」との返事をもらっている。

岸氏は「営業所を存続させて、働いている人を養い続けることが役目。そのためには、地元での仕事の掘り起こしが不可欠」と決意を新たにしている。角田氏は「本当の復興は、被災地の人たちが元の生活を取り戻すこと。そのためには地元の人が働ける場所を提供し続けることが責務」と言い切る。

埼玉生まれ・埼玉育ちの2人の震災復興への取り組みは続く。

岩手 粘り強く故郷を再生  M・K・G

「真横から来た“轟音”は、今でも耳に残っています」――。「M・K・G」(盛岡市)代表取締役の田畑克也氏(38)は、9年前の3月11日を同社宮古支社で迎えた。

地震による停電のため、「カーナビ」で見ていたテレビには、同じ県内沿岸部の都市・釜石市に津波が押し寄せる様子が映し出されていた。「宮古にも津波が来る」と、急いで近くの高台の小学校に避難した後に、津波による轟音が地響きとともに聞こえてきた。

交通誘導警備のために工事現場で勤務していた隊員の多くは、避難して無事だったが、早上がりで帰宅途中のベテラン隊員1人が津波に飲み込まれた。

全ての隊員の安否確認が終わり、宮古市内の自宅に戻ったのは地震から3、4日後の夜。暗闇の中で自宅周辺は湖のようになっていた。我が家が津波に流されていたのが分かったのは、明るくなってからだった。

無事だった家族とともに、住む場所を失った社員と支社での共同生活が始まった。直後から得意先の建設会社からは仕事の依頼があったが、食料・水・ガソリンがなく動けなかった。

青年部会で勉強中

街の様子は「“直った”ではなく“片付いた”という感じです」。震災から9年経った今の田畑氏の正直な気持ちだ。

復興関係の仕事は多いが、深刻な人手不足が影を落とす。

以前は約200人いた隊員も高齢化などで大幅に減った。ハローワークと新聞折り込みが中心だった募集には、求人誌やインターネットも加わったが、「費用対効果」は惨憺たる結果だ。

人が来ない理由は、震災後に他業種の仕事が増え、相対的に警備業のステータスや魅力が低くなったこと。「震災前の方が警備業には人が来ました」と苦悩をにじませる。

一方で、魅力ある警備業へ向けた取り組みも進める。

岩手県警備業協会(阿部正喜会長)の「青年部会」(鈴木拓朗部会長)には、2016年の発足当初から加入。現在は事務局次長を務める。

先に発足し、全国有数の活動で知られる宮城県警備業協会の青年部が中心となって開催するイベント「セキュリティフェア」には毎年、勉強のために参加。警備服で赤じゅうたんの上でパフォーマンスを行う「ランウェイ」にも“特別参加”してきた。

「(宮城青年部の)企画力、行動力を感じます。毎年参加することで人脈も広がりますし情報収集にも有意義です」と、自身の大きな刺激となっている。

昨秋、釜石市内で開催されたラグビーワールドカップ日本大会の警備にも取り組んだ。得意先には「地元復興のためにもラグビーを手伝いたい」と頭を下げて回り、他の現場から大会の「会場外警備」に隊員30人を動員した。その取り組みが評価され、東京2020大会の「聖火リレー警備」も打診された。

「(青年部会を中心に)若い世代の発想で岩手から発信していきたい」と、警備業の魅力づくりを語る田畑氏。今後の復興については、「これまでは仕事も多くありましたが、今後は震災前の状況に戻りつつあります。まずは会社の足腰を鍛えて、先の長い復興に備えたいですね」と、粘り強く故郷の再生に取り組んでいく構えだ。