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「知」に備えあれば憂いなし

河内 孝の複眼時評

河内 孝 プロフィール
慶応大法学部卒。毎日新聞社に入社、政治部、ワシントン特派員、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て退社。現在、東京福祉大学特任教授、国際厚生事業団理事。著書に「血の政治―青嵐会という物語」、「新聞社、破たんしたビジネスモデル」、「自衛する老後」(いずれも新潮社)など。

不都合な日本の真実④ 低下する技術力2020.3.21

――ノーベル賞大国はどこへ行く――

昨年8月、和泉洋人首相補佐官と大坪寛子内閣官房健康医療戦略室次長(当時)が山中伸弥京都大学先端研所長を訪れIPS研究予算カットを申し渡した一件は記憶に新しい。

話題となった京都アベック旅行からコネクティング・ルーム海外出張に至るスキャンダルは週刊誌に任せよう。最終的に予算カットもなかった。筆者が驚いたのは、大坪次長が山中教授に放ったと伝えられるセリフだ。「予算は私の一存でどうにでもなる」。

こんな傲慢な発言、全盛期の財務省主計官からも聞いたことはない。言い換えれば、次長は科学技術振興予算の査定、編成権が所管の文科省にも財務省主計局にもなく内閣官房(私)が握っていると誇示したわけだ。

1995年、村山政権は「先進国の技術をキャッチアップする時代は終わった。ニューテクノロジーで科学技術立国へ」を掲げて科学技術開発予算を5年間で平均20兆円、第5次計画の終わる20年度までに約100兆円をつぎ込もうという計画をぶち上げた。19年度までの実績は83兆2千億円。科学技術振興予算は、この計画の根幹で、毎年約1兆3千億円が投入されている。

予算の推移をみると小泉政権以降、「ノーベル賞獲得目標」という数値目標が導入された。果たして「50年間で30人程度」という目標がどの程度の“科学的根拠”に基づいているのかは疑問だ。ただ第一次小泉政権以来、経済財政担当相など要職を歴任した竹中平蔵氏の「新自由主義」に基づく「聖域なき構造改革路線」が科学技術予算配分にも色濃く反映されるようになった。具体的には基礎研究より出口重視の、「選択と集中」が強まり、「論文より特許」、「大風呂敷より実現可能な目標」に金が流れるようになった。

成果主義がすべて悪いわけではない。問題は、それを評価するのが現場と離れた文科省事務官や、大坪氏のような官邸官僚が権威を振りかざして仕切る点なのだ。

やせ細る研究基盤

科学技術振興予算以上に深刻なのが国立大学が独立行政法人に代わってからの運営費交付金の減少だ。総額でもこの14年間で1444億円減らされているが、特に職員の人件費に充てられる「基幹的運営費」は700億円も減らされた。この結果、86の国立大学で63校が教員採用を抑制し、この10年間で40歳未満の研究者が1426人、安定的な教員ポストが4443人分も減ったという。今やもっとも独創的な30代半ばの若手研究者の3人に2人がアルバイト雇用だ。つまり任期内(3年間)に成果が出せなければ予算が切られ職場を去らねばならない。これで何を研究しろというのか。

数字は正直だ。2000年代、発表論文数で世界2位まで行ったものが4位に、優れた研究として引用された論文数が4位から9位に転落した。

ノーベル賞大国というが、その業績を見るとほとんどが60年代から80年代のもので、20年から30年間の「待ち時間」がある。つまり科学技術高度成長期の「日の名残(なごり)」なのだ。ニュートリノがいい例だがノーベル賞科学者の共通点は、他と違うことをやる、何に役立つではなく、そこに疑問があるからとことん追求する、失敗、偶然から大切なものを見つける強運――にある。新自由主義の数値主義とは程遠い世界だ。

山中教授の話に戻れば大坪次長らは、同研がIPS細胞を一括して作り大学病院などに安価で提供する「ストック事業」が民間でできるので年間10億円は無駄だ、と考えたようだ。教授は、そんなことをすれば品質が保持できず、値段も高騰すると反論した。問題は、10億円が取り合いになるほどの予算の少なさではないか。