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「知」に備えあれば憂いなし

河内 孝の複眼時評

河内 孝 プロフィール
慶応大法学部卒。毎日新聞社に入社、政治部、ワシントン特派員、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て退社。現在、東京福祉大学特任教授、国際厚生事業団理事。著書に「血の政治―青嵐会という物語」、「新聞社、破たんしたビジネスモデル」、「自衛する老後」(いずれも新潮社)など。

アメリカよ、どこへ行く…
ー大きな振り子、小さな秒針ー2024.12.11

今回のテーマ、正確に言えば「どこに行くトランプのアメリカ」である。

トランプ当選後、日本のメディアは新政権人事を過剰と思えるほど丹念にフォローしている。安全保障上、唯一の同盟国で主要貿易国だからやむを得ない面もあるが、自国の組閣を追うような熱心さは、アメリカとの主従説を裏付けるようで感心しない。選挙結果やトランプ現象を分析することは大事だが、少し腰を据え長いスパンで見るべきではないだろうか。

トランプの勝因についてあまり伝えられてない点を三つ指摘したい。第1は、言われるほどの“大勝”ではなかったということ。結果的にトランプが激戦7州を抑えたので獲得選挙人数で差が付いたが、得票では7州とも僅差だった。もっともこの僅差が共和党に大統領プラス上・下院での多数というトリプル・レッド(共和党のシンボルカラー)をもたらした。

第2は、リベラル、保守を問わず米国メデイアが言及を避けている(ようにしか思えない)が、この結果はアメリカが、「未だ女性差別、有色人種差別の国」であることを証明したという点だ。いわば国の恥だから認めたくないのだろう。

第3は、学歴別得票率だ。ハリスが大卒以上の有権者から得た得票率と、トランプが高卒以下の有権者から得た得票率は、ほぼ同じだった。25歳以上のアメリカ人口に占める大学卒以上は38%で少数派だから、得票率が同じならトランプ勝利となる。

もう少し大きな背景を考えると、多数の“普通の”アメリカ人の心に潜む「反ワシントン感情」に突き当たる。建国の歴史を見れば分かるように、アメリカ大陸に渡って来たのは、圧政に苦しみ、あるいは宗教的迫害から命からがら逃れてきた人々だ。やっと着いた新大陸には、国家も政府もなく、「そこに住む以外、生きる道がない選択をした人々」(G.Gorer、the American People)である。従って彼らは元もと、「権威を拒否する傾向にあり、社会が発達するに従って必要になる統治機構は、やむを得ず作らなければならぬ必要悪」(加藤秀俊『アメリカ人』)なのだ。

こうした精神構造を引き継ぐ各州の農民、労働者層から見れば、政、官、財、軍のエリートが巣食うワシントンは、国民の税を貪り食う腐敗したDeep State(闇の帝国)であり、「我々」ではなく「彼等=敵」なのだ。こうした国民感情が19世紀末の農民暴動や、60年代のベトナム反戦運動の起爆剤となってきた。

ワシントンの金満エリート層の腐敗政治を打ち壊すためには官僚、議会をバイパスして国民、大衆と直結する強い権威、指導者が必要となる。トランプは、その役を上手く演じたということだろう。

経済好調と喧伝される中、米国民は何に怒っているのか。一つの指標を挙げるだけで充分だろう。さきほど米国民の42%は、高卒以下の農民・労働者・零細小売業であると述べた。この人達の実質賃金(収入)は、物価換算すると1972年より低くなっている。これに近年の物価高が追い打ちをかけた。

彼等にとって、かつて労働者の味方であったはずの民主党は、広いアメリカのごく一部、西海岸と東海岸の大都市部に住む官僚、弁護士、不動産業、金融業、マスコミなど“成功者”のための政党にしか見えなくなった。

しかし、民主党に「ノー」を突き付けたメカニズムは、必ずやトランプにもブーメランのように働くだろう。何故ならトランプが目指しているのは、徹底した規制緩和と弱肉強食の強欲資本主義だ。果実を享受できない農民・労働者層、零細業者らが「トランプの世界」に幻滅する日はそう遠くない。

特派員としてワシントンに赴任した頃、尊敬する先輩が教えてくれた。「日本の動きは秒針のようにせわしない。アメリカのそれは、身の丈ほどもある置き時計の振り子のようだ。一見、止まっているようだが確実に動いている」。今も肝に銘じている。