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「知」に備えあれば憂いなし

河内 孝の複眼時評

河内 孝 プロフィール
慶応大法学部卒。毎日新聞社に入社、政治部、ワシントン特派員、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て退社。現在、東京福祉大学特任教授、国際厚生事業団理事。著書に「血の政治―青嵐会という物語」、「新聞社、破たんしたビジネスモデル」、「自衛する老後」(いずれも新潮社)など。

石破VS高市から石破VS野田へ
ー与野党伯仲はあるのかー2024.10.11

昭和40年代、長期政権を誇った佐藤栄作に総裁選で3度挑み、挫折を重ねた三木武夫第66代内閣総理大臣。「男は三回勝負する」の名セリフを残した。

党内少数派派閥ながら権謀術数で生き残り「バルカン(策士)政治家」の異名を取った。その三木でも勝負は三回。石破茂は麻生太郎と闘った2008年以来五回目の挑戦で首相の座を得た。1986年衆院選で、全国最年少(29歳)初当選した石破もいまや67歳。その持続力は評価されるべきだろう。

自民党総裁・首相になった背景、経過も三木と共通する面がある。総裁選挙では勝てなかった三木だが、金脈問題で辞任した田中角栄首相の後継レースでまさかの指名を勝ち取った。裁定者、椎名悦三郎副総裁に「党改革」を強談判する一方、野党党首とも接触、「三木を野に放てば脱党、党分裂もあり得る」との瀬戸際作戦に出た。椎名は、やむなく福田赳夫、大平正芳を差し置いて、三木を指名せざるを得なかった。

そして今、裏金批判は収まらず、偽装に近い派閥解消で自民党が次期総選挙を勝ち抜くことは難しい。「自民党は変わった」という局面転換への切迫感が「五回目の勝負」に出た石破を総裁に押し上げた。今回の自民総裁選は、後にどう総括されるだろう。派閥分解状況での初の総裁選だったことは間違いない。同時に選挙の決定的ポイントでは、派閥力学というより3人のキーマンの動きが流れを決めた。

そこに着目すれば、「麻生太郎・菅義偉・岸田文雄」三首相経験者による三つ巴、党内影響力をかけた抗争ともいえる。一方で、予想外の地方票、党員票を掘り起し高市早苗を第一回投票で一位に押し上げた右翼集団や宗教組織、SNS集団も無視できない力を発揮した。このSNS集団は、先の都知事選で健闘した石丸伸二前広島県安芸高田市長を応援したグループと重なっている。嫌中、嫌韓ネット世論が自民党総裁選挙に渦を招いた。派閥解消状況だからこそ生まれた参議院議員の勝手連的動きも新要素だった。

これらを見ると自民党は、派閥解消という流動状況から世代、イデオロギーを分水嶺にした再編成のステージに入ったといえるかも知れない。

石破総裁誕生の功績者、麻生太郎

総裁選の経過そのものは、すでにマスコミ各社が報じている通りだ。石破総裁誕生の最大の功績者は、皮肉にも麻生前副総裁であろう。菅は、人気抜群の小泉進次郎を担いで前半、独走状況を作った。菅とキングメーカーを争う麻生は、これに焦り第一回投票から高市投票を指示する判断ミスを犯した。この情報を選挙直前、産経新聞にリークした狙いは「大勢決まる」の空気を作ることだった。

これに菅、岸田が反発した。菅にしてみれば、小泉が決選投票に残れないなら麻生の思惑をつぶすことが主戦略となる。岸田は政権投げだしの直前、麻生に解散を含む事態打開を再度懇請したが蹴られた恨みがある。しかも高市の靖国参拝や、薄氷の日韓関係を壊しかねない右翼的言動に米政府が危惧していることも承知していた。

石破は、第一回投票の議員票46票を決選投票で143票まで伸ばした。この内訳は岸田グループが第一回投票で得た議員投票数(林芳正38票、上川陽子23票)に小泉の75票の多くを加えた結果だ。

こうして石破は自民党第28代総裁・第102代内閣総理大臣となった。しかし、高市の役職拒否を見れば分かるように党内には、随所に不発弾が転がっている。石破としては、一直線、総選挙に突入することで党内不協和音を封殺するしかなかった。10月27日投開票という最速日程は、対野党というより自民党内事情からだ。

ポイントは、十分な候補者調整、選挙協力協議の時間もないまま選挙に突入した野党が、この自民分裂状況を生かせるかだ。石破と野田佳彦は、かつて同じ釜(新進党)の飯を食った仲間。結果によっては政界再再編の触媒になるかもしれない。対決の時が来た。