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「知」に備えあれば憂いなし

河内 孝の複眼時評

河内 孝 プロフィール
慶応大法学部卒。毎日新聞社に入社、政治部、ワシントン特派員、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て退社。現在、東京福祉大学特任教授、国際厚生事業団理事。著書に「血の政治―青嵐会という物語」、「新聞社、破たんしたビジネスモデル」、「自衛する老後」(いずれも新潮社)など。

安倍氏なき安倍政権の延長2020.9.21

-あの辞任劇は何だったのか?-

今回の安倍首相辞任劇を一言でいうと、「幕が上がる前に芝居が終わっていた」ということだろう。この言葉、オリジナルは故前尾繁三郎元衆議院議長のものである。

1980年、大平首相の急死を受けて各派が「服喪休戦」で活動を自粛した瞬間をとらえ“政界の孫悟空”と呼ばれた大平側近の田中六助氏が御殿場の岸信介邸から刑事被告人であった田中角栄氏などの間を駆けずり回り、あっと驚く鈴木善幸後継の流れを作ってしまった。田中角栄邸には、宅急便の後部荷物室に隠れてもぐり込むという離れ業までやってのけた。

こうして政局は、正式機関での協議が始まる前に終わっていた。最高顧問の一人であった前尾氏の名セリフは、この時のものである。

さて菅政権、その全容は未だはっきりしないが、当面は「安倍氏なき安倍政権」の延長戦ということだろう。菅氏にとっては一年後が正念場だ。しかしマスコミ、政治評論家が横一線で勝ち馬に追従するように菅政権論をまくし立てるのには閉口する。まず、「安倍首相は、なぜあのタイミングで辞めたのか(辞めざるを得なかったのか)」という素朴な疑問を解明するのが先だろう。そこが分からなければ菅政権論も語れるはずがない。

「病気だから仕方がない」で済むなら政治記者は必要ない。「なぜあのタイミングで?」の疑問に答えるキーワードを8月28日の安倍首相辞任会見から拾ってみよう。

(1)6月から持病再発の兆候があった。薬を使い職務にあたったが7月中旬から体調に異変が生じ、体力を消耗する事態となり、8月上旬には再発が確認された。新薬を使い効果が確認されたものの継続的な処方が必要で予断を許さない。「国民の負託に自信をもって応えられるという状態でなくなった以上、総理大臣の地位にあり続けるべきではない」(2)決断を促したのは前回、突然の辞任で国民に迷惑をかけたこと。今回は後継者が決まるまで仕事を続けるし、その自信もある(3)コロナ対応に障害を避けるため一か月悩み抜いた。コロナ新対策とミサイル防衛に新指針を出したこのタイミングしかないと判断した。

菅政権は選挙管理内閣だ

安倍首相は、辞任表明後半月たつが入院もせず淡々と日常業務をこなしている。だから病状は必ずしも、「このタイミングしかなかった」という決定的要素ではない。では何だろう? 政治学者の白井聡氏は、「この政権は、失敗を続けているにもかかわらず、それが成功しているかのような外観を無理やり作り出してきた」と見る。それが限界に来たので投げ出したというのだ。

下がり続ける支持率の中で、コロナ収束の見通しも立たない。11月、トランプが勝ってもバイデンになっても関係は仕切り直しだ。東京―ワシントンを何度もとんぼ返りしなくてはならない。東京五輪の先行きも霧の中。景気は予算は? お先真っ暗だ。唯一確実なのは、この一年間で解散・総選挙をしなくてはならないこと。そこまで乗り切る体力、気力はさすがにない。

とすれば誰なら「成功しているかのような外観」を維持しようとしてくれるのか。さらに、いつ、どうやれば議席減を最小に食い止められる選挙が可能になるのか。こうしたことを逆算すれば、「健康問題」は辞任劇のメインテーマではない。決定的要因は、「体制護持と選挙管理」であったとみられる。

突然の辞任劇についてさまざまな反応があった。リンパ腫の再発に悩む中西宏明経団連会長は今月7日、病院を抜け出して記者会見に臨んだ。政府のコロナ対策に注文を付ける一方で、「安倍首相のように“辞めたい”と言いたいが、そんな経済情勢でない」と切り捨てた。よくぞ言ったと思う。