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「知」に備えあれば憂いなし

河内 孝の複眼時評

河内 孝 プロフィール
慶応大法学部卒。毎日新聞社に入社、政治部、ワシントン特派員、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て退社。現在、東京福祉大学特任教授、国際厚生事業団理事。著書に「血の政治―青嵐会という物語」、「新聞社、破たんしたビジネスモデル」、「自衛する老後」(いずれも新潮社)など。

変らない日本政治、いいんじゃない
ー分断の欧米と異なる道を歩めー2024.11.21

石破茂首相は11日、衆院での首班指名で再投票の結果、比較多数で内閣総理大臣に再任された。10月27日、総選挙での自民敗北から首班指名まで与野党間の動き、駆け引きを見ていると、つくづく「歴史は繰り返す」と思う。回りどうろうを見る思いだ。

1983年12月、ロッキード事件田中角栄元首相の有罪判決後に中曽根康弘元首相が行った総選挙で自民党は大敗、結党以来の衆院過半数割れとなる。新自由クラブに閣僚2ポスト(田川誠一自治相、河野洋平科学技術庁長官)を差し出し、連立で急場をしのいだ。しかし、86年の衆参同日選挙で自民党が大勝すると新自由クラブは自民党に吸収された。

93年夏、リクルート・スキャンダルで揺れる中、宮澤政権下の総選挙で自民党は再び大敗。社会、公明、日本新など8会派連合による細川政権が誕生した。翌年、自民党は社会党を取り込み村山富市政権樹立という奇策で権力奪還に成功する。以降、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗のショートリリーフでつなぎ、小泉純一郎という特異なパーソナリティーが2006年まで政権を保持し、安倍晋三にバトンタッチした。

病気治療のため退陣した安倍の後継、福田康夫、麻生太郎政権も長続きしない。追い込まれて解散に踏み切った麻生だが、世界同時不況に苦しむ有権者は野党第一党の民主党に308議席を与える。結果、安倍が「悪夢のような」と評した鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦による民主党政権が12年の第二次安倍政権成立まで続いた。

この間の政治には、三つの特徴がある。第一に09年総選挙を除き自民党が最大勢力を維持し続けたこと。第二に自民党を除外した諸派連合の政権交代は二回あるが、いずれも短命に終わっていること。第三に有権者は、不祥事や経済不況に反応して自民党にお灸をすえるが、2〜3年後に再び過半数を与えるという循環を繰り返していることだ。

つまり数年に一回、与野党逆転、伯仲、あるいは衆参のねじれ現象が起こり、与野党間で国会運営、法案をめぐり協議と妥協が重ねられる政治が続いた。むしろ安倍一強と言われた8年間の独断専行型政治の方が異常であったといえる。

欧州、米国政治よりはるかに良い

この政治サイクルに関しロンドン経済大(LSE)のスーラック准教授(日本政治)が興味深い指摘をしている。

「自民党が弱体化するのは、野党が自民党に代わる代替案を提示したからではなく世界規模の危機という外的要因か、大規模なスキャンダルによる内的要因による。(中略)つまり日本の政治は安定して退屈だ、それを(低投票率が)示した選挙だった(朝日新聞11月5日)」。続けて「(日本政治で)興味深いのは、欧州のような強力なポピュリスト(大衆迎合)的政治家が生まれていないこと。米国のように極端に分極化、分裂していないこと。こうした社会よりもはっきりとしない(日本の)方がずっとましだと思う」と分析している。変わらない。それがいい、と言うのだ。

今回の選挙では、衆院で28議席を得た国民民主党がキャスティング・ボートを握り自民党との政策協議を進めるが、その顔ぶれも気心の知れた同士だ。玉木雄一郎党首は、大平正芳元首相の姻戚で大平の女婿、森田一元衆院議員の長女を政策秘書としている。相方の自民党森山裕幹事長は、旧田中派の重鎮だった二階堂進の城代家老。石破首相も秘書を務めた田中角栄を、「政治の父」とあがめている。安倍政治から旧大平宏池会・旧田中派政治へのシフトが進んでいるようだ。

少子高齢化、産業の停滞に加え台湾情勢、トランプ再選で国内には閉塞感と動揺が広がる。しかし、こうした中、極端なイデオロギー勢力は、ゼロではないが「台頭」はしていない。少数与党下、丁寧な合意形成が進むことは悪いことではない。肩に力を入れず、「変化しない日本」型で処して行く方がベターではないか。