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「知」に備えあれば憂いなし

河内 孝の複眼時評

河内 孝 プロフィール
慶応大法学部卒。毎日新聞社に入社、政治部、ワシントン特派員、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て退社。現在、東京福祉大学特任教授、国際厚生事業団理事。著書に「血の政治―青嵐会という物語」、「新聞社、破たんしたビジネスモデル」、「自衛する老後」(いずれも新潮社)など。

「コロナ禍」がうつし出す人の器量2020.05.01

―危機とリーダーシップのあり方―

ローマ帝国崩壊後、分裂した小国間の暗闘で権謀術数の限りを尽くした政治家、マキャベリは、「フレンツェ史」の中でこう述べている。「全くもって情けない現実だが、人間というものは権力を持てば持つほどそれを下手にしか使えないものであり、そのことによって、ますます耐え難い存在と化す」。

国難ともいえるコロナ禍が襲来して早や5か月になろうとしている。この間、さまざまな局面で見せつけられた人間模様に接する度、マキャベリの洞察力に改めて感嘆する。笑うに笑えぬいくつかの例を見てみよう。

KY(空気読めない)症候群

現職の自民党国会議員、しかも環境庁長官まで務めた人物が、マスク通販にかかわった、というのには驚いた。聞けば選挙区の医師会でマスク不足が深刻化しているので、「お役に立ちたい」と思い斡旋した、という。しかし、このところの品不足とはいえ1枚60円程度の商品を110円で“転売”したのに、「相場など全く知らなかった。高額といわれびっくりした」という能天気ぶり。さらに3月15日からは国民生活安定緊急措置法により転売自体が禁じられていたことに思いが及ばなかったというのはお粗末以前の問題だ。

寒風の中、開店前のスーパー、薬局の前に何時間もマスクを求めて、しかも買えるかどうかも分からず行列を作る庶民。通勤のため列にも並べず恨めし気に都心に向かうサラリーマンの気持ちなど全く読めていない。「小さな善意」が時として大きな社会悪になりかねないという想像力が欠落しているのだ。

PCR検査抑制論

人口何万人当たり何パーセントの感染者がいるのか。無作為調査に基づく疫学的データがないとコロナと戦いようがない。このイロハを無視して突っぱしって来たのが日本の対策だ。年間、肺炎による死者は10万人以上。このうち何人がコロナ患者だったのかも調べていない。これで「外国に比べて死者は少ないんです」(安倍首相)と胸を張られても困る。

この最中、検査を抑えていることを正直に告白してしまった首都圏の保健所長がいる。「陽性者は症状に関係なく入院させなくてはならないので検査選定を厳しめにやった」。これも「医療崩壊を避けたい」という“善意”からの権力行使だが本末転倒。軽度な陽性者をホテル、公共施設に隔離する行政対応、細菌戦の訓練を受けている自衛隊の協力を得て野戦病院を作る出口戦略が先。事態を平時の体制、能力の範囲内に押さえ込もうとするから破綻が避けられない。

やはり裸の王様は…

これ以外にも歓送迎会を行ってコロナ感染。しかも対外的に宴会の事実を隠していた神戸西署の幹部ら。この節、風俗店出入りの野党議員。民間には自粛を求めていながら議員会館のスポーツジムを愛用していた議員達など「俺は別」のミニ権力族の行状には腹が立ち、呆れるしかない。

しかし、最後に触れざるを得ないのは、われらがリーダー安倍首相の振る舞いだろう。筆者は「アベノマスク」や自宅くつろぎポーズのSNS投稿を鬼の首を取ったかのように批判する気にはなれない。

それ以上に心配なのは4月7日行った緊急事態宣言時の演説である。「いま私たちが恐れるべきは恐怖それ自体です」。ルーズベルト米大統領が大恐慌の際、国民を鼓舞するために行った有名な就任演説をパクったもの。しかし、ルーズベルトには大規模公共投資で経済を立て直すという明確な目標と手段があった。我々が恐れているのはコロナに打ち克つロードマップも提示できず、検査、医療態勢も作れないリーダーシップに対してなのだ。歴史的背景の違いも学ばずスピーチライターの文章を棒読みしたり、側近の「マスク提案」に安易に乗ってしまう首相自身が恐ろしいのだ。