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「知」に備えあれば憂いなし

河内 孝の複眼時評

河内 孝 プロフィール
慶応大法学部卒。毎日新聞社に入社、政治部、ワシントン特派員、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て退社。現在、東京福祉大学特任教授、国際厚生事業団理事。著書に「血の政治―青嵐会という物語」、「新聞社、破たんしたビジネスモデル」、「自衛する老後」(いずれも新潮社)など。

米韓合意が日本に問うもの
-核拡大抑止のジレンマ-2023.05.21

自由、人権など価値観を共有する隣国同士の首脳が12年もの間、膝を交えて話し合うことがなかった。なんとも異常である。

それだけに3月のユン・ソンニョル韓国大統領の訪日、5月の岸田首相の訪韓でシャトル外交が復活したことを素直に評価したい。

無論、韓国与野党の支持率は拮抗しており、「4年後には政権交代で振出しに戻る」心配もある。それでも神戸大学院の木村幹夫教授の言うように、「今後4年間、安定した期間がある」と見るなら、この時間を最大限、有効に使うべきではないか。

繰り返される歴史認識問題と謝罪要求。出口の見えぬ状況に国内では、へきえきとした気分が漂っていた。この袋小路を打開したのがユン大統領の行動である。

同大統領は、4月の訪米前、ワシントンポストのインタビューにこう語った。「100年前のことで(日本に)無条件でダメで、無条件でひざまずけということは受け入れがたい」。

韓国のトップがこのような発言をするには、相当の勇気が必要だ。日本への反感をあおって支持を得る方がはるかに容易だからだ。

韓国では、過去に同じような決断を下した二人の大統領がいた。1982年8月15日の独立記念日、当時のチョン・ドウファン大統領は、「異民族支配の再現防止に向けて」と題し、「(日本に)植民地化されたことを恨むのでなく、植民地化された自らの非力さを顧みるべきだ」と演説、大きな反響を呼んだ。

経済協力交渉を中曽根首相とのトップ会談でまとめ日韓関係を軌道に乗せたが反政府デモ弾圧がたたり末路は不幸だった。

チョン大統領とは真逆の道を歩んだキム・デジュン氏は、大統領として来日した1998年10月、国会演説で「50年にもならない不幸な歴史のため1500年にわたる交流と協力の歴史全体を無意味にすることは愚かなこと」と述べた。以後、小渕首相との間で「戦後最良」と言われる関係を築いた。

立場は異なっても長期的視野に立った両氏の勇断が薄氷の日韓関係を維持したともいえる。ユン大統領は、あえてこの道を選んだ。それを促したのがバイデン米大統領である。

背景には、韓国の置かれた厳しい安全保障環境がある。ユン氏は、大統領選挙で90年代に米軍が韓国から撤去した戦術核兵器の再配置を訴えた。

度重なる北朝鮮のミサイル恫喝と、軍事大国化する中国の影が伸びる中、韓国では核の独自開発を求める声が高まっている。2021年秋に統一研究院が行った調査では、72%が自主核開発を支持、75%が原子力潜水艦の建造に賛成した。

無論、韓国民も核の独自開発が核不拡散条約に違反し、米韓同盟を危機に陥れることは承知している。それでも独自開発を進めるべきという声が35%もある(在韓米軍の駐留継続を求めるは49.6%)。

従って4月の米韓首脳会談に向けた事前折衝では、眼に見える「核の保障」をどう取り付けるかが焦点となった。

揺れる非核三原則

米国にとって韓国への核兵器再配備は中国を刺激しすぎるし、最悪の場合、「核を人質に取られる」恐れもあり受け入れがたい。

ギリギリの妥協点が核攻撃に即応する「米韓核協議機関」の常設と核搭載潜水艦の韓国寄港による「拡大抑止」提供だった。

ユン大統領は、米韓首脳会談後の記者会見で「我々は、圧倒的な軍事的優越性で平和を達成できる」と胸を張り、バイデン大統領も、「北朝鮮の米国および同盟国への核攻撃は、その体制の崩壊になる」と明言した。

つまり韓国は、「核を作らず、保有もしない」代わりに核の運用に加わり、本来姿を見せない核搭載潜水艦を韓国に寄港させることで核の傘を可視化させることに成功したといえる。

この経過は、日本にも示唆を与える。日本は核に関し、「作らず、持たず」に加え「持ち込まさせず」の原則も堅持している。今後、米国に核の拡大抑止を求めるなら非核三原則をどうするのか。腹を据えて議論しなくてはならない。