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「知」に備えあれば憂いなし

河内 孝の複眼時評

河内 孝 プロフィール
慶応大法学部卒。毎日新聞社に入社、政治部、ワシントン特派員、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て退社。現在、東京福祉大学特任教授、国際厚生事業団理事。著書に「血の政治―青嵐会という物語」、「新聞社、破たんしたビジネスモデル」、「自衛する老後」(いずれも新潮社)など。

プーチンが軍を引く対価は?
-外交は戦争に道を譲ったのか-2022.03.01

プーチン・ロシア大統領のアドレナリンは今、上がり放しだろう。国力の指標、GDPで見れば韓国より下位の11位、日本の4分の1、米国の10分の1にすぎない国が、世界中をきりきり舞いさせている。各国首脳が争うように、「軍事力行使だけは思い止まってくれ」とすがりついてくる。自らの手に地球儀が乗ったような気分なのかもしれない。とりあえずロシアに隣接するウクライナ2州のほとんどを切り取って見せた。これで収まるとは、到底思えないが…。

各国外相が集まった(ロシアは欠席)ミュンヘン安保会議を取材しているNYタイムズのサンガー記者によると、18日の開会直後、バイデン米大統領の、「プーチン大統領は軍事介入を決定したと確信する」との発言が流れた瞬間、議場は静まりかえった。「以後、議論はプーチン氏がどのような戦争に踏み切るかに変わった」(同紙2月20日)という。 

一方、プーチン大統領も追い込まれていた。ロシア陸軍の態勢は34個師団、約34万人。徴兵制から志願制に移行中で定員維持に苦労している。うち半分近い15万人もの部隊を厳冬期に移動、荒野に野営させ2か月以上も激しい訓練を続けてきた。補給や休養、士気、態勢の面から限界が近づいた。何らかの行動をとるには、2月いっぱいがリミット。そこで今回、ベラルーシと、ロシアが一方的に承認した二つの、傀儡かいらい政府の要請を受けてロシア軍が同地に長期駐留する形に移行した。

かくして外交は、出番を失ったのだろうか? 必ずしもそうとは言えない背景がある。一つは、現代戦の一形態となった虚実混然としたサイバー、欺瞞ぎまん、心理戦という「戦争とも外交ともいえない」状態が今後とも続くからだ。サイバー・情報戦については今回、米国が先手を取ってきた。これはバイデン米大統領自身が認めているように2014年、ロシア軍のクリミヤ半島侵攻を阻止できなかったこと、16年米大統領選挙でトランプ氏が勝利した背景に、ロシア発のサイバー攻撃が大きく寄与した、との反省からである。

プーチン大統領が軍を引く時

ロシアのクリミア侵攻では、CIAなど情報機関が様々な動きを探知していたにもかかわらず、機関同士のけん制、秘密主義により有効な手が打てなかった。この反省から今回は、ロシア軍の動向に関する機密情報を積極的に流し、あるいはウクライナ政府、銀行へのサイバー攻撃などロシア側が打つであろう手の内を次々に明かし対応を取らせ、ロシア側の選択肢を封じてきた。

「これは、かえって戦争をあおっているのではないか」との批判にバイデン政権は耳を貸そうとしない。「もし我々の予測が誤りでありロシアがウクライナに侵入しないということになるなら、はるかに望ましいことであり我々は、いかなる批判も喜んで受け入れる」。2月17日、国連安保理でブリンケン米国務長官は、言い切った。

結果的にロシアは、ウクライナ東部二州のほとんどを無血占領の形で手に入れた。他方、ウクライナ国民の一体感と反ロ意識を高め、西側の弱点と見られた“足並みの乱れ”が最小限に止められている点は、情報戦の成果といえる。この戦いは、さらに熾烈しれつに展開されてゆくだろう。

クリミアに続きウクライナ東部二州のほとんどを手に入れたことでプーチン大統領は、成功の美酒に酔えるのだろうか? 国民の大喝采を受けられるのだろうか。ウクライナ国境地域での領域拡大は、作戦の第一歩でしかない。最終目的はウクライナをNATOに加盟させない誓約をNATO主要国から取り付けることにあるが、それは無理だ。では、これまでの軍事コストに引き合う“ご褒美”とは何か? 虚々実々の駆け引きが続く。