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「知」に備えあれば憂いなし

河内 孝の複眼時評

河内 孝 プロフィール
慶応大法学部卒。毎日新聞社に入社、政治部、ワシントン特派員、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て退社。現在、東京福祉大学特任教授、国際厚生事業団理事。著書に「血の政治―青嵐会という物語」、「新聞社、破たんしたビジネスモデル」、「自衛する老後」(いずれも新潮社)など。

岸田首相に至福の3年?
-どう使うかで評価が定まる-2022.07.11

参議院選挙後、至福の3年間が岸田首相に訪れる、という説がある。何とか過半数を維持すれば、衆議院議員任期はまだ3年以上ある。選挙という制約なしの3年間、政治目標に思い切って取り組める、というのだ。問題は何をするかだが…。

話は変わるが今年もお盆の季節が巡ってくる。この時期、物故した政治家の所作を思い起こすことが多い。駆け出し政治記者の頃、自民党幹事長、衆議院議長を務めた保利茂氏の懇談を末席で拝聴したことがある。

独特の途切れるような口調で、「政治は最高の道徳でなくてはならない、と僕は考えているけれどね」と語るのを聞いて一瞬、失笑をこらえるのに苦労した。世の中が田中角栄元首相のロッキード事件、裁判で大騒ぎしている時、「政治と道徳」という言葉がなんともミスマッチに聞こえたのだ。

今になれば失笑した自分が恥ずかしい。保利さんは、「政治家イコール道徳家」と言ったわけではない。政治は、道徳とは程遠い修羅場もくぐらねばならないからこそ、自身が懸命に、「道徳」たらんとしなければ、と自戒していたに違いない。

岸田氏が政治の師と仰いでいるという大平正芳元首相も、死の半年前行った国会施政演説でこんなことを語っている。

「政治の基本は申すまでもなく、あらゆる政策の決定と運営に公正の精神が満ち、清廉な態度が貫かれていることであります。私は、政治に対する信頼の原点がここにあることを肝に銘じ、まず、私はじめ閣僚が率先して政治に臨む姿勢を厳しく戒め、今日国民が抱いている政治に対する不信を払しょくしなければならないと考えております」。

この言葉もまた、大平政権の政策と運営が公正、清廉であったどうかとは関係ない。大平首相が、「そうありたい」と自らに言い聞かせてきたことに意味がある。何故なら長期政権は絶対、腐敗するし、腐敗は必ず頭から進むからである。あえて国会という場で公言し自らを縛る。そして、少しでもあるべき姿に近づきたい、という思いがうかがえる。

安倍的政治からの脱却

そうやって考えれば岸田政権が今後3年間で目指す目標は、はっきりしている。安倍的政治からの離脱である。ここで「的」と断るのは、安倍政権7年8か月の政治全てが誤りであったとは思わないからだ。

例えば米国一強の時代が終わり中国の台頭が著しい中で集団的自衛権に一歩踏み込む安保法制の改正は必要だったと思う。

では「的政治」の何が問題だったのか。それは政治スタイル、手法にある。全てを「敵か味方か」に二分して、味方となれば森友・加計学園問題にみられる徹底した身びいき、コネ政治で報いる。

中央官庁の人事を内閣官房が握り、先例も慣例も無視して内閣法制局長官、日銀総裁から検察庁、各省庁主要ポストまで情実人事をやりまくる。可愛い記者の刑事訴追を免れさせるために警察庁出向秘書官を使い、後に長官に任命する。

一方、敵となれば、「こんな人たちに負けるわけにゆかない」と絶叫し、国会では野次の先頭に立ち、桜を見る会など数々の不祥事についても「説明しない政治」を押し通す。

何故、こうなったのか? 人は、国政選挙の連勝による長期政権のおごり、秘書官陣による側近政治を挙げる。しかし、私は、自省ということを知らない安倍さん自身の弱さにあると思う。

忘れもしない情景がある。プーチンとの下関交渉で北方領土二島返還に転じた直後の2016年春、都内のある会合であいさつを終えた安倍首相に車いすに乗った丹波実元駐露大使が追いすがった。「総理、プーチンに騙されてはいけませんよ!」。振り絞るような諫言に耳を貸さず首相は足早に去った。丹波氏は半年後、帰らぬ人となる。

最近、安倍秘書官を長く務めた防衛省次官の更迭劇などを見ると、岸田首相に「的政治」に距離を置く意志がうかがえる。結構ではないか。