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「知」に備えあれば憂いなし

河内 孝の複眼時評

河内 孝 プロフィール
慶応大法学部卒。毎日新聞社に入社、政治部、ワシントン特派員、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て退社。現在、東京福祉大学特任教授、国際厚生事業団理事。著書に「血の政治―青嵐会という物語」、「新聞社、破たんしたビジネスモデル」、「自衛する老後」(いずれも新潮社)など。

岸田政権の多難な門出
-カゲの消し方、化け方次第-2021.10.21

「3A(安倍、麻生、甘利)直轄政権」「忠犬キッシー」――。様々に揶揄されながら岸田内閣がスタートした。政権の先行きは、なによりも今月末の総選挙次第だ。公明党と共に何とか衆議院の過半数を制すれば歩みは続く。負ければサドンデス(頓死)となる。

菅前首相が退陣表明した9月3日の新規コロナ感染者は、1万6739人。岸田自民党新総裁が誕生した同月29日の感染者は、1986人。この差は大きい。以後、感染者は減り続けている。国民にとって最大のトラウマが治まり、生活が元に戻るにつれ政権への不満度も静まってゆくであろう。

歴代自民党政権発足時に比べ(ご祝儀)支持率が低いとの指摘もあるが、比較の対象は3割を切っていた菅内閣だ。45%(朝日新聞)から59%(日経新聞)という支持率と、下げ止まった自民党政党支持率から自民大敗、政権交代の予測は立てにくい。とはいえ、年末に向けコロナ再燃も予想される。来年は、参議院選挙もある。楽な歩みとはならない。

昔を知る政治記者から見ると、この政権と二重写しに見えるのが1982年11月に発足した中曽根政権だ。ロッキード事件逮捕・起訴で手負い獅子となった田中角栄。その三木、福田許すまじの怨念が中曽根への肩入れとなり、角栄代理政権として生まれたのが中曽根政権だった。

何より世間は、最初の人事に驚嘆した。幹事長に田中派の重鎮・二階堂進、官房長官には角栄の懐刀で警察OBの後藤田正晴を据え、法務大臣にはロッキード裁判批判の急先鋒、秦野章(田中派)をあてた。「田中曽根内閣」「角影(カクエイ)内閣」の見出しが躍った。

しかし、中曽根は時間をかけ、徐々に“自前政権”への道を歩み始める。翌年10月の田中実刑判決を受け、涙の辞任勧告と角栄の拒否。直後の「ロッキード選挙」で自民党は大敗。新自由クラブとの連立でピンチをしのぐ。しかし、この経過は角栄に“貸し”を作り“カゲ”を薄める効果を生んだ。苦難の末、翌年の総裁選で再任されると、田中派とはいえ竹下登擁立を公言する金丸信を幹事長に据え角栄との距離を取り、ニューリーダーを引き立て世代交代を演出した。こうした時間をかけた“田中離れ”が長期政権の礎となった。

昔話はこれくらいにして、問題は岸田総理・総裁に同じような手練手管が発揮できるかどうかだ。本人の意思、能力もさるものの政治環境、時の運にも左右される。

時間差攻撃で3A離れ?

「自前作戦」の武器は、森友学園疑惑(対安倍、麻生)、桜を見る会疑惑(対安倍)、前回参院選挙での広島選挙区、河井候補への1億5千万円投入疑惑(対安倍)、UR口利き疑惑(対甘利)――など事欠かない。ポイントは、一時に3Aを相手に回しては勝ち目がないこと、4つの武器について公言しないこと。これらを緩急自在、時間差で使い分け3Aの相互けん制と対立を仕掛けられるかどうかだ。

そうやって見ると“自前”への布石と思える動きも散見される。まずは麻生・安倍間に離間の種がまかれている。内心、留任を期待していた麻生太郎は義弟を後任に充てることで内閣から外した。細田派には4人の閣僚ポストを配分したが、安倍が希望した高市幹事長、萩生田官房長官はかわした。財務次官が異例の文芸春秋投稿で、「ばらまき批判」をかましたのもくせ玉だ。高市政調会長が逆鱗する(安倍も逆鱗する)論文を麻生がオーソライズしているのだから。

岸田は、受験校から東大受験に再度敗れるという麻生・安倍にない挫折を味わっている。1億5千万円問題が起きた参院選では、自派の重鎮が目の前で“政治的暗殺”にあっている。忍耐と、恩讐が意外にタフな一面を見せるかもしれない。(文中敬称略)