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「知」に備えあれば憂いなし

河内 孝の複眼時評

河内 孝 プロフィール
慶応大法学部卒。毎日新聞社に入社、政治部、ワシントン特派員、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て退社。現在、東京福祉大学特任教授、国際厚生事業団理事。著書に「血の政治―青嵐会という物語」、「新聞社、破たんしたビジネスモデル」、「自衛する老後」(いずれも新潮社)など。

戦車は過去の遺物か?
-イラク戦に学ばなかったロシア-2022.08.01

1916年9月15日、第一次世界大戦3年目のフランス北部ソンム戦線。縦横に掘られた塹壕をはさみ連合国軍とドイツ軍との膠着状態が続いていた。

突如、地平線の向こうから轟音と共に“鋼鉄の芋虫”が姿を現した。英国海軍がアメリカ製トラクターをベースに開発した、マークⅠ型戦車のデビュー戦だ。

水冷6気筒、1万6000㏄のエンジン、乗員8人、車体の左右に57ミリ砲を、機関銃を3基搭載していた。最大速度は時速6キロメートル。敵陣を10キロメートル突破したものの、緒戦の戦果は決して華々しいものではなかった。

戦線に到着したのは49両だったが故障で実戦に投入できたのは18両。鉄条網と機関銃陣地を突破することはできたが、(1)固定砲のため発射角度が制限された(2)低速でモタモタしているから敵砲兵の格好の標的になった(3)無線を積んでなかったから戦車同士、随伴歩兵との連携が取れず単独行動となり容易に攻撃された(4)機械の信頼性が低く、多くが作戦中に損傷した(5)巨大なエンジンの熱でダウンする乗員が続出した――などのためである。

それから一世紀。戦車の性能は格段の進化を遂げた。まず旋回砲塔が開発され全周砲撃が可能となった。厚い装甲、低い車高、速度も時速70キロメートルを超えるようになった。自動給弾装置、レーザー照準器の開発で走行中でも連続射撃が可能になった。

しかし、矛(ほこ)と盾(たて)の例えもある。対戦車兵器も同じく進化した。第二次世界大戦末には、成型砲弾を使う通称、バズーカ砲が登場した。

お椀のような形状の成型弾は、戦車に当たるとつぶれ、モンロー効果で炸薬が高熱・高速のメタルジェットとなって一点に集中、装甲版を破壊する。ロケット推進なので反動が少なく歩兵一人が肩越しに発射できる。

米軍がウクライナ軍に供与しているジャベリンミサイルは、物陰から戦車をロック・オン(照準固定)して引き金を引けばミサイルが自動追尾して戦車の最も弱い砲塔上部で爆発、車内の弾庫を爆発させる。

現代的戦車活用法

それにしてもウクライナ戦で目にするロシア戦車の残骸は、あまりに無残だ。砲塔が吹き飛び、赤茶けた首なし戦車の大行列だ。控えめな推定でも開戦から今日までロシア軍は、放棄されたものを含め700〜800両の戦車を失っている。もはや戦車は、最新対戦車兵器の前に無用の長物と化したのだろうか?

これまでにも「戦車無用論」は、何度か浮上した。数次にわたるアラブ・イスラエル戦争でソ連製RPG対戦車ロケットが大活躍した時。最近では2020年のナゴルノ・カラバク紛争でアゼルバイジャン軍がトルコ製ドローンTB2のミサイル攻撃でアルメニア軍戦車隊を圧倒した時だ。

こうした「戦車無用論」に一矢を報いたのが1991年2月の湾岸戦争。連合軍のシュワルツコフ司令官は、エア・ランド・バトル(ALB)という戦術を採用した。まず航空優勢を確立して上空から敵対戦車部隊を排除する。戦車隊には歩兵の乗る装甲車両と攻撃ヘリ部隊が随伴し、空陸から守りを固め進撃する――という概念だ。結果的にイラク軍のソ連製戦車数百両を包囲、殲滅することに成功した。

今回、ロシア軍が最初に侵攻したキーウなどの中部地帯は森林が多く対戦車部隊が姿を隠すのに好適だった。こうした地形でALB戦術は攻撃ヘリに守られた歩兵部隊を先行させ、敵対戦車部隊を排除しつつ進むことを求めている。

最近ではイスラエル軍をはじめ戦車にActive Protection System(APS)を装備する動きが進んでいる。これは戦車に側方レーダーと多銃身の機関砲を備え、対戦車ミサイルの発射を即時に探知、弾幕によって破壊するシステムだ。

これらの策を講じた上でなら高速で移動できる打撃力、戦場支配力で戦車は今日でも有益とする専門家が多い。言い換えればノモンハン事変や、対独戦車戦に勝利したソ連・ロシア軍は、最新の戦略、戦術を学ばないままウクライナ戦に突入したのだ。