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「知」に備えあれば憂いなし

河内 孝の複眼時評

河内 孝 プロフィール
慶応大法学部卒。毎日新聞社に入社、政治部、ワシントン特派員、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て退社。現在、東京福祉大学特任教授、国際厚生事業団理事。著書に「血の政治―青嵐会という物語」、「新聞社、破たんしたビジネスモデル」、「自衛する老後」(いずれも新潮社)など。

その先にある危機2020.10.11

-INF条約の破棄で迫られる決断-

今そこにある危機は、冷静に考えれば誰にも見える。真の危機は、「その先」、つまり地平線の向こうにある。

今年1月、米原子力科学者会報(BAS)は核戦争などによる地球滅亡までの残り時間を示す「終末時計」が、1947年の計測開始以来最も短い、「残り100秒」になったと発表した。この指標自体は、科学者が考える時代認識に過ぎない、といえる。しかし朝鮮戦争の最中、米ソが水爆実験に成功した1953年と、北朝鮮が核開発に狂奔した2018年が過去最短の「残り2分」であったことを考えると、彼らが今、いかに「その先の危機」を深刻にとらえているかが分かる。

この背景には、ロシアのプーチン大統領が6月2日に署名、発表した「核抑止力の国家政策指針」がある。この指針は、ロシアと同盟国がいかなる攻撃を受けた場合に核兵器を使用するかの基準を示したものだ。内容が公表されること自体初めてで、米国に対しロシアの「危機感と本気度」を伝える意図からと思われる。

核使用を認める状況とは、(1)敵が弾道ミサイルを発射した場合(2)核兵器、大量破壊兵器による攻撃(3)核兵器による報復攻撃を妨げるような国家やロシア軍主要施設に対する攻撃(4)国家の存続を脅かす通常兵器を使った侵略――である。通常兵器による攻撃でも規模、内容によって核報復すると明言したことに世間は震撼した。 

また指針では、核抑止力が求められる脅威に、「宇宙空間でのミサイル防衛(MD)設備や攻撃システムの設置」を加えた。これも宇宙兵器の開発を急ぐ米国をけん制したものだ。この指針を受けて8月7日、アンドレイ・ステルリンロシア参謀本部作戦総局長らは軍機関紙に、「ロシアと同盟国を攻撃する弾道ミサイルはすべて核弾頭を搭載しているものと判断する」との論文を発表した。

米ロ核管理のシステムが崩壊

何故、こうなったのか。昨年8月、米ロが射程500〜5000キロメートルの地上発射弾道及び巡航ミサイルの保有開発を禁じた中距離核戦力全廃(INF)条約が失効したためである。

米国にしてみれば1200発近い中距離核を開発、配備している中国がINFに加わらず制約を受けないのは不当だ。このため条約失効後、射程500〜1000キロメートルの中距離核弾道ミサイルの開発に着手、20年代初旬にグアムあるいは同盟国に配備する予定だ。

このミサイルは通常弾頭も積めるが“弾道ミサイルには、すべて核弾頭を搭載している前提で対応する”というロシアは、核で反撃に出るだろう。また、日本が配備候補地になれば国内では、かつての「核持ち込み論争」が再燃するだろう。

これに続いて来年2月には、新戦略核削減条約(新START)が期限切れとなる。ロシアは継続を希望しているがトランプ政権にその意思はない。

START条約には、きわめて綿密な相互監視、意思疎通の規定が決められ実施されていた。つまり、キューバ危機を経て70年代に確立した米ソ2大国の核管理・危機管理システムが消滅するのだ。「終末時計」の針が進んだのは、このため誤判断の連鎖から偶発戦争が発生する可能性を憂いたからだ。

こんな時、日本は敵基地攻撃能力保有の検討に入った。ロシア、中国、北朝鮮から見れば米国が劣る中距離ミサイル攻撃能力を補完する動きとみられるだろう。そのとき何が起こるか。まさに「その先の危機」である。