河内 孝の複眼時評
河内 孝 プロフィール |
慶応大法学部卒。毎日新聞社に入社、政治部、ワシントン特派員、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て退社。現在、東京福祉大学特任教授、国際厚生事業団理事。著書に「血の政治―青嵐会という物語」、「新聞社、破たんしたビジネスモデル」、「自衛する老後」(いずれも新潮社)など。 |
放送の公平性とは?
-問題は高市発言にあらず-2023.04.01
「痛勤」のない年金暮らしになってテレビのワイドショーを見る機会が増えた。様々なコメンテイターが登場してくる。気に喰わぬ輩、見当外れな発言を連発する者もいて、思わずテレビ画面に悪態をつき家人にたしなめられることも多い。
街のおっさんなら罪はないが、時の総理、電波行政を所管する総務相、首相補佐官が特定の番組に腹を立てて「けしからん番組は取り締まるスタンスを示すべきだ」(総務省公表文書)と言い出すと穏やかではない。
安倍政権時代、官邸が振りかざしたのが放送の公平原則(フェアネス・ドクトリン)である。他の諸制度と同じく戦後、米国に倣って導入された。
1927年、ラジオ放送開始とともに発足した米国の独立委員会、FRC(1934年テレビ放送開始とともにFCCに改組)は、電波割り当てや放送・通信権限を監理してきた。
放送の公平原則とは「有限、希少な国民の電波帯域を使って放送事業を行う以上、免許保有者は政治的に中立で、公正、平等な放送を行う義務がある」という考え方だ。このため番組内で政治的主張を取り上げた場合、同じ時間を使って反対意見を紹介するといった規制が存在した。
この原則を大きく変えたのが1984年7月の米最高裁判決だ。「公費補助を受けた公共放送で政治的意見表明を行うのは公平原則違反」としたFCCの申し立てに最高裁は「ノー」を突き付けた。
判決は、まず「近年、有線放送、衛星放送などの技術革新により、地域社会は幅広い番組選択が可能となり、電波の希少性という概念は時代遅れとなったという主張がある」と環境の変化を指摘した。
さらに、「FCCが公平原則について言論の自由を鼓舞するより委縮させ、妨害すると判断する実質的な可能性があるならば(中略)、過去の判断を再検討すべきだ」と結論付けた。これを受けFCCは、1987年8月にフェアネス・ドクトリンを取り下げた。
「さまざまな意見を発信する番組作りこそ言論の自由を活性化する。一つひとつの番組内で形式的な“公平”を取り繕う必要はない。多種多様な主張から視聴者が自由に選択すればよい」という考え方に切り替えたのだ。
トランプ支持一辺倒の番組を流し続けたFOXテレビが放送違反に問われず、聞いていると寒気のするような陰謀説をまくしたてるラジオ放送が堂々と流れているのはこのためだ。
この動きでもうひとつ注目すべきは、その原動力がレーガン政権下の保守、規制緩和派に主導されたものであった点だ。保守派から見ればリベラル色の強い米3大ネットに対し、自分たちの意見を反映してくれる多様なメディアが誕生してほしい、という願望が働いていた。
日本電波行政の化石化
日本の動きに戻ろう。占領下の1945年、米進駐軍はFCCに倣い政府から独立した「放送委員会」を作り電波行政を担わした。委員には戦時中、軍部に弾圧された京大の滝川幸辰教授、社会運動家の荒畑寒村氏、作家・宮本百合子氏など進歩的な文化人が名を連ねていた。
1952年になり吉田内閣は占領行政見直しの一環として電波3法を制定する。電波放送権限を独立委員会から郵政省(現総務省)に取り戻すことに主眼があった。問題は以後、電波行政が“化石化”して時代の変化から遊離していったことだ。
狭義の公平原則を堅持しようとすれば、「放送全体で見て判断する」のは抽象的すぎる。結局、「個々の番組」でチェックするしかなくなる。政権、総務省が介入できるゆえんだ。
米最高裁判決のように公平原則を「メディア多様化の中で、言論の自由を鼓舞するのか、委縮させるか」で判断するのであれば従来の原則自体を見直すのが当然といえる。
要は、低次元な「捏造か否か」の議論に止めてはならないということだ。この再検討、政府・自民党にとって悪い話ではない。自らの主張を反映した番組が生まれてくる可能性も大いにあるからだ。