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クローズUP

警備料金テーマに意見交換2019.03.11

全警協が青年・女性部会長会議

全国警備業協会(青山幸恭会長)は3月5日、「全国青年部会長・女性部会長会議」を都内で開き、各部会長ら40人が出席した。会議では「今後の警備業」をテーマに、発注主との警備料金の値上げ交渉やダンピング排除のための方策などを意見交換した。

料金の値上げ交渉については十分な“理論武装”をした上で、発注主に対しきちんと主張を述べ、成功した例が報告された。

「毎年2月下旬に国土交通省が発表する公共工事設計労務単価表を見せながら、『これだけ上がっているので値上げをお願いします』と交渉している。発注主のほとんどが建設会社なので、多くの場合納得してもらえる」(東京・女性部会)や「人手不足なので、発注主は必要な数の警備員をそろえることができる会社を評価する。こちらも価格交渉では妥協しない。他社も同じように対応して、地区全体で価格が上がった」(山梨)といった発言があった。

ダンピング排除については、業界全体で取り組むべき課題だという認識で一致した。

最近は役所の入札ではほとんどの案件で最低制限価格が設けられ、その額を下回った企業は次回の入札に参加できないなど公共関連ではダンピングがしにくい環境になった。「この数年で、価格の“叩き合い”は劇的に減った」(兵庫)という。

司会を務めた梶岡繁樹・全警協警備業務適正化小委員会委員(新成警備保障)は「民間仕事の場合、発注主からダンピングを求められることがある。各社事情が違うので対応に答えはないが、私の考えとしては、そのような仕事は受けなくていいと思う」と述べた。

福島克臣・全警協専務理事は「発注主と警備会社の一対一の交渉では、どうしても立場が弱い。昨年3月に全警協は、発注主対“オール警備会社”で交渉するという考えで『自主行動計画』を策定した。ぜひ活用してほしい」と話した。

専門家10人が講演2019.03.11

ASIS日本支部

セキュリティー専門家の団体、ASIS インターナショナル(以下ASIS)日本支部(長瀬泰郎代表理事)は3月5日、東京ビッグサイトで「ASIS東京セキュリティカンファレンス2019」を開催した。

カンファレンスは、「SECURITY SHOW 2019」の特別セミナーとして東京で初めて開いたもの。長瀬代表理事は、開会あいさつの中で「この大会は国内と海外のセキュリティーに関する情報と知見を交換するまたとない機会」と趣旨を述べた。

セミナーは「ESRM(企業セキュリティーリスク管理)の考え方と大規模イベントのセキュリティー」をメインテーマに、専門家10人が講師を務めた。

セコム企画部担当部長兼Tokyo2020推進本部・長谷川精也氏は「セキュリティーサービスが果たす役割」と題して講演。「技術の進化によりセキュリティーのカバー範囲は事象発生時から未然防止・早期復旧に広がっている。ロボットや画像処理、AI、空間情報などの導入が進んでおり、2020は“警備JV”で日本の警備業界を挙げて安全な大会運営に貢献したい」と語った。

ASISはセキュリティー専門家3万5000人を会員とし、73か国に245の支部を持つ世界最大規模のセキュリティー団体で、年一回の世界大会をはじめ展示会や教育活動を行っている。

特集ワイド 被災地の復興担う警備業2019.03.11

2011年3月の東日本大震災から8年――。あの辛く痛ましい記憶は多くの人々の記憶から薄れつつあるように見える。最近では、ひと頃よく言われた“震災を風化させない”という言葉さえ耳にする機会が少なくなった。しかし、甚大な被害が発生した岩手、宮城、福島の東北3県では、今日も復興へ向けた取り組みが進められている。震災直後から復旧、そして現在の復興を支える重要な担い手・警備業、その現在の取り組みを報告する。

今回訪ねたのは福島、岩手の両県。福島では原発事故の収束へ向けた取り組みの拠点となった楢葉町にあるJヴィレッジを、岩手では津波で大きな被害を受けた陸前高田と大船渡の両市を、それぞれ訪れた。

廃炉は始まったばかり

Jヴィレッジへ向かう国道6号線では、大型ダンプなど多くの工事関係車両や大型バスとすれ違った。ダンプは復興支援道路などの各種インフラ整備の関係車両だ。なかには、“除染”作業で出た、放射能に汚染された残土などを「中間貯所蔵施設」に運ぶ、“環境省のマーク”をつけたダンプもある。一方、バスは福島第一原発の廃炉作業に従事する作業員を送迎するためのものだ。スモークガラス越しに、座席や窓にもたれかかる、疲れ切った作業員の姿を確認できる。

道路沿いには、復興工事や廃炉作業関係者を当て込んだ、大小多くの新しいビジネスホテルなどの宿泊施設が立ち並ぶ。その周辺にはコンビニや食堂などプレハブ造りの店舗も見られる。一見活況を呈し、復興を感じさせるが、先の長い廃炉作業は始まったばかりだ。

砦が津波から守る

岩手では、一ノ関からJR大船渡線で沿岸部に向かった。途中の気仙沼駅で鉄路は途切れる。津波で線路は流された。線路があった場所は、今では「BRT(バス・ラピッド・トランジット)」という名のバス専用道路となり、元の線路と一般道を交互に通行しながら目的地に向かう。

リアス式海岸の沿岸部では、至る所に海に向って開ける場所がある。8年前、ここから津波が押し寄せてきた。高台には新築の家屋、低地は更地という風景が続く。

今回の目的地・陸前高田、大船渡ともに津波で大きな被害を受けた。海岸には巨大な防潮堤や水門の建設が進み、それは街を守る“砦”を思わせる。砦の内側では、土地のかさ上げやインフラ整備など街の再生へ向けた取り組みが急ピッチで進む。その一端を警備業も担っているのだ。

「Jヴィレッジ」再開支援 ALSOK福島

「4月にJヴィレッジが全面再開するんだよ。警備業も関わっているよ。福島では久しぶりの明るい話題だ」――。最近の県内警備業の状況を聞こうと福島県警備業協会に連絡したところ、電話口での星源一郎専務理事は声が弾んでいた。

Jヴィレッジ、正式名称は「JFAナショナルトレーニングセンターJヴィレッジ」。運営会社の社長は内堀雅雄福島県知事が務める。1997年に日本初のサッカーナショナルトレーニングセンターとして開設されて以来、サッカー日本代表のトレーニングキャンプをはじめ、各種大会や合宿などで多くのチームに利用されてきた。2011年3月の“あの日”までは。

3月11日の地震によって引き起こされた大津波は、東京電力福島第一原子力発電所に壊滅的ダメージを与えた。同原発から約20キロメートルの場所に位置するJヴィレッジは、原発事故収束の対応拠点として政府と東京電力に使用されることとなり、営業休止を余儀なくされた。“接収”は3年間に及んだ。

当時の模様をJヴィレッジ事業戦略担当課長の後藤朋久氏は次のように語った。

――揺れによる建物への被害はありませんでした。停電のため近隣住民が避難してきたため“炊き出し”などを行っていましたが、翌日になって原発から半径20キロメートル圏外に避難するよう指示が出ました。施設のバスでキャンプしていた海外チームの選手などと一緒に、いわき市内まで避難しました。停電のためラジオで情報を集めていましたが、あんな津波が来ていたとは知りませんでした。

5月になって残務処理のため再びJヴィレッジを訪れました。敷地内では防護服を着た自衛隊員や消防隊員が行き交っていました。建物内の通路には、床に段ボールを敷き横になって休憩している、原発収束作業に従事していた多くの作業員の姿。多数あるピッチは砂利と鉄板が敷かれて駐車場に。特に日本代表チームのために丹精込めて整備してきた「3番ピッチ」のその姿を見たときは、「元に戻ることはないだろう」と感じました――。

警備で運営パートナー

2015年9月、施設のある楢葉町の「避難指示区域」が解除された。2018年夏には復興のシンボルとしてJヴィレッジが一部営業再開を果たした。

これを受けて警備業は、1969年にいわき市小名浜で創業した地元福島の警備会社・ALSOK福島(郡山市、前田泰彦代表取締役社長=福島警協会長)が、Jヴィレッジのオフィシャルスポンサーに、昨年4月からは施設警備の運営パートナーとなった。主な警備業務は、夜間の建物内への出入管理や広大な各種施設の巡視など。ベテラン警備員が警備室や防災センターで目を光らせる。

同社常駐支社次長の日出山浩二氏は、隊員に「県民にとって復興のシンボル」という施設の重要性を説く。「施設の話題は県内ニュースでたびたび取り上げられます。脚光を浴びている分頑張らなければ」と後藤課長も口をそろえる。

皇族も訪れた昨年7月の「オープンセレモニー」では、日出山氏がセキュリティー面で後藤氏をサポートした。今年4月に行われる「グランドオープン」では、近くにJR常磐線の新駅も完成する。これまで以上の来場者も予想され、さらに各種イベントも計画されている。施設警備や雑踏警備など警備業の出番はますます増えそうだ。

全面営業再開を目前に控え後藤氏は「“サッカーを通じた交流人口の拡大”という施設の使命はもちろん、施設を核に周囲を盛り立てていきたい。発信性のある施設であり、福島の現状を伝えていきたいですね」。日出山氏は「お客さまが笑顔で来ていただき、笑って帰れる施設にしたい。そのためには警備員のスキルアップ、技量向上は欠かせません」と、それぞれJヴィレッジを通した福島復興への熱い思いを語った。

津波被害、乗り越えて…
トスネット北東北・大船渡営業所 トスネット陸前高田

津波で甚大な被害が発生した岩手県大船渡市と陸前高田市。大船渡市では死者340人・行方不明者79人、陸前高田市では関連死を含む1550人が死亡、207人が行方不明となるなど県内最大の被害となった。

現在、両市では巨大な防潮堤や水門の建設が進む。特に街のほぼ全域が壊滅状態となった陸前高田市では、土砂による“かさ上げ”工事が行われ、新しい街づくりが進んでいる。

陸前高田に別会社設立

震災直後から両市の復旧・復興に取り組んでいるのがトスネット北東北(盛岡市、土岐保信代表取締役)だ。当初は同社大船渡営業所が両市をカバーしていたが、陸前高田市の被害が甚大なことから、別会社「トスネット陸前高田」を震災発生の2011年9月に設立した。

「陸前高田」の社長は「北東北」の土岐氏が兼務するが、実質的な現場の切り盛りは取締役事業所長の大川信一氏が担当している。それまで大川氏は、福島県会津若松市の営業所に勤務していたが、「陸前高田」設立1か月後の10月に辞令を受け取った。「復興できるのだろうか」。それが現地を初めて見た時の感想だった。

「陸前高田」開設後しばらくは警備の依頼はなく、大船渡営業所の応援が中心となった。「陸前高田」での仕事が本格化したのは震災から1年経ってからだった。

隊員は3人でスタートしたが、現在は14人の体制となった。全員が地元出身の被災者だ。主な仕事は、水門建設工事やかさ上げ工事での交通誘導警備業務。警備員指導教育責任者の資格を持つ大川氏が、隊員の新任・現任の両教育も担当している。家族を亡くした隊員もおり、コミュニケーションを重視しているという。

一方、大船渡営業所は震災から1週間後に仕事の依頼があった。内容は広場に集められた、水没して動かなくなった車両の夜間監視業務だった。その後、道路の復旧工事など交通誘導警備業務が中心となった。

震災直後は約40人の隊員が在籍していたが、震災によるショックなどで10人が退職した。一方で、仕事の依頼は急激に増えていった。震災2か月後には大小合わせ総勢100人を必要とする警備の依頼が寄せられ、「北東北」全社を挙げての応援で乗り切った。

同営業所の現在の所長を務めるのは村上宗志氏。地元の高校を卒業して警備員として入社した。震災発生の前日に営業管理職の辞令を受け取り、2016年に現職に就いた。

震災が発生した日は、高台に逃げる人の流れに逆らい沿岸部に向かい、警備現場の隊員が避難したことを確認してから自らも避難。直後に津波が街に押し寄せ、命拾いした。隊員は全員無事だったが、安否確認に1週間ほど要した。ガソリンが手に入らず、自転車で現場に向かう日々が続いた。

村上氏の目下の不安は「2020年3月以降」。政府が示した復興の目安だ。今も防潮堤関連工事など交通誘導警備業務へのニーズは多いが、ひと頃に比べれば落ち着いてきた。生まれ育った街の復興に携わってきたという達成感はあるが、先が見通せない不安感が募る。

大川氏は、警備業務を通した街再生への貢献に自負がある。復興を見届けたいが64歳の今、「これが最後の仕事」と感じている。「役に立てる仕事に関わることができ、退職後も誇りに思えるでしょう」は、今の正直な気持ちだ。