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全警協創立50周年 活動を振り返って2022.11.21

警備員教育充実に尽力

元専務理事 深山健男(在任:2000年5月~12年5月)

2000年5月、全国警備業協会の専務理事に選任されて以来、各県協会と会員企業の全面的な協力を得て、さまざまな課題に取り組んできました。丁度、警備業が大きく変貌する時期に当たっていたように思われます。就任直後から、警備業にとって魂ともいえる警備員教育の充実のための施設を創設する作業に取り組み、翌年9月に「研修センターふじの」の開設の運びとなりました。

「労務単価問題」にも取り組み、国土交通省や道路建設業協会と折衝を重ねたことが思い出されます。国内の治安情勢は刑法犯の認知件数が激増するなど深刻化し、大阪府の池田小学校事件に伴う学校の安全警備、兵庫県明石市雑踏事故に伴う雑踏警備の根本的な見直しなどの課題が出てまいりました。

激増する犯罪を抑止し、国民生活の安全を守るため生活安全産業としての警備業の育成と活用が政府の「犯罪対策閣僚会議」で決定された「犯罪に強い社会を実現するための行動計画」の中で謳われたのです。 警察庁は、警備業の適正化と警備員の資質の向上を図ることを目的に、04年「警備業法」の全面改正を行うこととなり、全警協も調査研究の段階から、各種資格獲得のための警備員教育に至るまで全面的に協力しました。警備業は従来の単なる規制対象の業種から「社会に必要不可欠な安全産業」と位置づけられ、叙勲の対象ともなりました。

08年に公益法人改革三法が施行、全警協も一般と公益のどちらを選択することが業界にとってメリットなのか慎重に検討を重ね、他の業界団体と同様「一般社団法人」とすることとし、12年に移行しました。

11年3月11日、東日本大震災が大きな被害をもたらしました。全警協は「災害支援隊」派遣、「災害支援金」募集など社会的な役割と使命を果たしました。

同年春、警備業界の適正な情報の発信のため、新たな業界紙を創刊する機運が高まり、12年3月「警備保障タイムズ」の創刊の運びとなりました。以来、同紙は業界内の的確な情報伝達を通じて、警備業の発展に大きく貢献してこられたことはご同慶の至りです。

警備業自体が社会貢献

元専務理事 上原美都男(同:2012年5月~16年6月)

私は2012年5月の総会で専務理事への就任が認められ、16年6月の総会で退任が承認されるまでの4年間、力不足ながら勤務させていただきました。その間に思い出される大きな事案は、16年4月に発生した震度7の「熊本地震」です。

熊本県警備業協会の事務局では人的被害はなかったものの、入居するビルが損壊し、仮事務所への移転を余儀なくされました。それでも同協会では、県内に数多く設置された被災者のための避難所の夜間警戒を強化するために、警察官OBを警備員として編成・配置するなど、県警と連携を取りながら被災地の安全安心の確保に努め、これが熊本県民から絶大なる信頼を得ることにつながったことは言うまでもありません。

全警協においても発災翌日には、会長を長とする災害対策本部を設置、私が副本部長として熊本県協会との連絡、各県協会との連携、全警協応援隊の熊本派遣、警察庁災害対策室との連絡調整等に当たりました。発災1週間後、応援隊とともに現地に赴きました。今も鮮明な思い出として強く記憶に残っています。

これからの警備業に期待することを、一つに絞って述べたいと思います。それは、警備業の社会貢献についてです。警備業は、国民に対し契約に基づいて安全サービスを提供する民間企業体であり、結果として社会全体の安全安心を増進する安全産業です。その意味で警備業の仕事自体が社会貢献なのです。

契約がある、ないに拘わらず、社会の安全確保に関することならば、民間企業としてできる範囲内で、都道府県警察と緊密な関係を構築して、可能な社会貢献を更に進めてもらいたいと思っています。そうすることで、警備業への国民の信頼がより一層強まり、必ずや警備業の今後のさらなる発展につながっていくはずであると信じています。

熊本地震当時、このことこそが警備業にしかできない社会貢献だとつくづく思ったものだったのです。

警備員数60万人に感慨

前専務理事 福島克臣(同:2016年6月~21年6月)

全国警備業協会は設立50周年を迎えた。思えば、私が警察庁で警備業担当者だった時は、警備員総数は20万人にはるかに満たず、警察官総数に届いていなかった。それが現在は、警備員総数は60万人近くに上り、警察官総数の2倍を大きく上回ることとなった。大変な発展であり、この間の警備業界関係各位のご努力に深く敬意を表したい。

この50年の全警協の歴史のうち、私は5年間を専務理事として勤めた。紙面の都合上詳述はできないが、いくつかを、思いつくままに記すこととしたい。

まずは「警備業における適正取引推進等に向けた自主行動計画」の策定である。政府の要請によるものであったが、政府の考えは、強い立場にある大企業等が下請けをはじめ弱い立場の企業に買い叩きなどをしないようにするための自主規制を求めるものであった。このため、クライアントに対して弱い立場に立たされている警備業界にとって、策定する自主行動計画を有意義なものにするには、かなりの工夫が必要であった。

警備業、警備員のイメージアップのための各種取り組みもあった。「警備の日」全国大会の開催、警備業のマスコットキャラクターの作製、「警備員規範」及び「警備員心得」の策定、女性警備員の愛称「警備なでしこ」の募集などである。

自家警備問題の発生と収束も忘れ難い。交通誘導警備の自家警備に関する警察庁と国土交通省の合意は、我々にとって寝耳に水であった。

2度の基本問題諮問委員会の開催、建築保全業務共通仕様書等改訂への対応(国交省官庁営繕部との交渉開始)、オリンピック警備に従事する警備員への教育とeラーニングによる講義の実施などなどである。

末筆ながら、全警協の役員の方々と警備会社からの出向者を含む全警協スタッフ、各種委員会の委員などとして意見をお寄せいただいた関係各位に、深く感謝申し上げたい。これらの方々のご理解、ご協力がなければ、何もできなかったことと思う。

大業受け継ぐ者を育成

専務理事 黒木慶英(同:2021年6月~)

豚の角煮「東坡肉」にその名を遺す北宋の詩人・とう)は、画聖と称えられた呉道子の画を見て「ひとりで成し得たものではない」と記したそうだ。この言葉は「叡智有る者が創り、才能ある者がそれを受け継ぐ」の句に続くものだという。大業は一人の力ではなく、精神と技術、それを育む文化の長い間の継承発展がなければ成し得るものではないということだろう。

警備業が誕生して半世紀以上が経過した今、警備業は日本の社会において「生活安全産業」としての地位を確立し、警備員は「エッセンシャル・ワーカー」として位置づけられている。まさに叡智有る人々が創り、才能ある人々がそれを受け継いできた成果と言っても過言ではあるまい。

人々の日常生活の維持継続に不可欠な存在として認められている警備業だが、警備業が持つ公益的、公共的な側面が必ずしも十分に社会に認知されていない、顧みられてこなかったという疑いをもつのは私だけだろうか。自衛の延長としての警備活動であり、それ以上でもそれ以下でもないということで済まされているのではなかろうか。

交通誘導警備や雑踏警備にしてもそれ自体が交通秩序の維持や交通、雑踏事故の防止という公共の秩序維持に深くかかわる活動である。言葉を換えれば警備員の活動は警察官の行う警戒活動等の一部を代替している存在だとも言えよう。にもかかわらず、その事実が十分に認識されてこなかったのではないか、そんなことを思う最近である。

今後、警備員の行う警備活動の公共的な側面へと社会の関心、ニーズが移っていくのではないかと予想される。少なくともいえることは、半世紀余にわたり諸先輩が創り、受け継いできた警備業というものを、社会の変化に適合させ、さらに有益なものとするべく、発展させていかなければならないこと、そのためには大業を受け継ぐ者すなわち「担い手」が必要であることである。

この「担い手」を獲得し、いかに育成するかという古くて新しい論点について一定の解を見出した時に初めて、蘇東坡の言のように「成し得た」といえるのであろう。全警協のこれまでの50年を顧みて今後50年を展望するとき、その感を改めて深くするところである。